アジア系に対するヘイトクライムの捉え難さを巡って
今年に入り、米国でのアジア系女性が被害者となった殺人事件が続いている。1月15日にはMichelle Alyssa Goさんがニューヨークの地下鉄のプラットホームで殺害された。2月14日には、Christina Yuna Leeさんが、ニューヨーク、チャイナタウンの自宅マンションに付けてきた男性に押
#StopAsianHate #ヘイトクライム
identity
2022/02/27
執筆者 |
elabo編集部

■増加するアジア系への暴力事件となぜか沈静化する「#StopAsianHate」

 

今年に入り、米国でのアジア系女性が被害者となった殺人事件が続いている。1月15日にはMichelle Alyssa Goさんがニューヨークの地下鉄のプラットホームで殺害された。2月14日には、ChristinaYuna Leeさんが、ニューヨーク、チャイナタウンの自宅マンションに付けてきた男性に押し入られ、ナイフで40箇所以上刺されて亡くなった。その二日後の2月16日、ミネソタに住むJulia Liiさんは車を運転中に15歳の少年に撃たれ、亡くなってしまった。全て、全く見ず知らずの男性による殺害である。

 

これらの事件に関するいくつかの大手メディアに上がった記事やSNSでの発言を見ていると、こうした犯罪をアジア人女性へのヘイトクライムとして認めてもらえないこと自体への怒りが目立つ。昨年2021年3月16日にアトランタのスパが襲撃され、6人がアジア系女性が殺害された事件においてさえ、ヘイトクライムであることを法的に立証することは困難だと言われた(裁判は現在も進行中)。この事件を切っ掛けにアジア系へのヘイトクライムへの注目が集まり、アメリカで反新型コロナウイルス感染症ヘイトクライム法が制定されたのは、この問題が周知される上で重要な展開だったと言える。しかし、先に述べたような、アジア人に対するヘイトクライムの立件し難さが一つの理由となり、アトランタの事件の際に一旦高まった「#StopAsianHate」の動きは、同年の後半にはだいぶ沈静化してしまった印象を受ける

 

毎日新聞も2週間ほど前に報道していたように、2020年には前年比2.2倍になったアジア系へのヘイトクライムは2021年には前年比4.4倍となった。アジア系のアメリカ人が巻き込まれる暴力事件は、ヘイトクライム法制定以降も増加し続けていると考えて間違いないだろう。そのような状況で、未だに多くの犯罪がヘイトクライム認定されないという事実をどう考えたら良いのだろうか。全く無辜のアジア女性を無作為にターゲットにした、冒頭に挙げた複数の事件は、抵抗しない弱者、性的消費対象として軽視されるというアジア人女性に顕著な差別を想起させるのに、なぜこのことを認めさせることはこんなにも困難なのだろう。

 

容疑者が精神疾患を被っているホームレスであることが多い

 

まず最もわかりやすい理由としては、コロナ禍で起きているヘイトクライムの多くが、精神疾患を抱えているホームレスによって起こされることが挙げられる。上に挙げたGoさんをプラットフォームで押した男性も、Yuna Leeさんを殺めた男性もホームレスで、後者は事件を起こした場所の近隣のシェルターに住んでいたことがわかっている。要するにこれらの事件は、コロナ禍で最も苦しい状態にある弱者が別の意味での弱者を襲ってしまった悲劇であり、その究極的な原因は彼らをそのような苦境に置いているコロナ禍と社会制度ということになる。それゆえYuna Leeさんの事件の後には、ホームレスのための支援を求める声が同時に上がり、多くの共感を集めていた。

 

 

■アジア系に対するヘイトクライムに明確なシンボルがない

 

アジア系への差別には歴史的にわかりやすいパターンやシンボルがないことから、特定しづらいという理由づけも存在する。たとえばアフリカ系への差別を想起させる首吊り用の縄やユダヤ系への差別を象徴する鉤十字に相当するものが、アジア系に関しては存在しないということだ。歴史的に見ても、アジア系の犯罪被害者の多くは、強盗に襲われた中小企業の経営者であることが多く、いわゆる富裕層を襲う犯罪との差別化が困難であることも問題を複雑にしていると言われる。先に挙げた今年に入って殺されてしまった女性たちも皆、都市部で働くキャリアウーマンであったことは間違いない。

 

■マイノリティグループの抑圧や対立関係を強めてしまう懸念

 

アジア系へのヘイトクライムを告発しにくい原因の中でも、より深く歴史に関わるのは、他の有色人種、特にアフリカ系との関係にある。まず大前提として、アジア系へのヘイトクライムは有色人種、特にアフリカ系によるものが多いと「言われている」。ここで「言われている」と強調するのは、SNSのみならず大手メディアの記事でも見られるこの言説は、『Vox』の記事が慎重に書き記しているように、たまたま注目を集める事件がアフリカ系によるものであったことや、元々存在していた両コミュニティの緊張関係に起因し、統計的な数値には基づいていない。しかし、この他の有色人種がアジア系を攻撃しているという印象のために、アジア系への犯罪をヘイトクライムとして同定し、警察による取り締まりを求めることは、必然的に長年にわたって攻撃的な取り締まりを受けてきたアフリカ系やラテン系のコミュニティを苦しめることになり、人種間の緊張を悪化させる恐れがある。この構造が明白であるために、アジア系はヘイトクライムであることを強調できないというのだ。。

 

アフリカ系のDemsasとアジア系のRamirezの共著による『Vox』の記事「黒人アメリカ人とアジア系アメリカ人コミュニティーの緊張と連帯の歴史を説明する(The history of tensions — and solidarity — between Black and AsianAmerican communities, explained)」によれば、このアフリカ系とアジア系の対立は、白人至上主義のシステムのなかで、白人至上主義を隠蔽するために作られ、機能し続けている。要するに白人が白人の特権的位置を守るために、マイノリティ同士を限定された経済的リソースを巡って競争させる状況を作り、その結果、アジア系とアフリカ系は互いをライバル視するようになったのだ。その顕著な例の一つが、映画「ドゥ・ザ・ライト・シング」(1990年)でも鮮烈に描かれていた韓国人の移民とアフリカ系コミュニティとの関係である。

 

 

1965年、アメリカは人数を決めて移民を受け入れるクオータ制による移民制度を廃止し、高技能労働者の入国を推進するようになった。その政策のなかで、高い教育を受けた韓国系アメリカ人が選抜され、移住してきたが、彼らの多くは、人種差別やその他の障壁のために、母国で享受した社会的地位を再現できなかったと言われる。仕方なく彼らは小規模のビジネス・オーナーとして、黒人が多く住む地域で店を開いた。韓国系移民が黒人に近かったのは、経済的に恵まれない地域でしか起業できなかったからなのだ。このことは、融資における黒人差別によって、アフリカ系の移民が起業できないことが多いという事実と相まって、両者の苦渋と葛藤を呼び起こしたのだそうだ。

 

■意識化しにくい「モデルマイノリティ」という差別

 

また、アメリカで支配的な「黒人対白人」というパラダイムの中で、白くも黒くもないアジア系移民とアジア系アメリカ人は、常に不可視化される危険にさらされてきたとも言われる。この不可視化と戦うなかで、多くの技能のあるアジア系は、しばしば人種的ヒエラルキーと白人至上主義を受け入れ、白人とできるだけ同化するようになった。この同化したアジア人が、その勤勉さと経済的な成功によって人種差別を克服した「モデルマイノリティ」と呼ばれるようになる。そして「モデルマイノリティ」という名称が、「勤勉ではない」アフリカ系を非難する概念として白人によって利用されることによって、アジア系とアフリカ系との分断はますます深められてしまったのだ

 

「結局のところ、最近のアジア系への攻撃の増加は、アメリカにこれまでも常に流れていた反アジア感情を反映しているだけでなく、アジア系アメリカ人がモデルマイノリティとして認識されていたために、彼らに対する人種差別が長い間人々の意識から遠ざけられてきたことを浮き彫りにしている」

 

Demsasらの議論に則すならば、アジア系に対するヘイトクライムの同定しにくさは、モデルマイノリティであるアジア系への差別が長年意識化されないものになっていたことによる。こうした差別自体の不可視化によって、なぜこのような暴力が起こっているのかについて答えが必要な時には、アフリカ系がその犯人としてスケープゴートにされたり、これらの事件は人種的動機によるものではないと言われることになるのだ。

 

■モデルマイノリティ=サイレントマイノリティ

 

アジア系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人は、自分たちの緊張関係が白人至上主義によって作られたものであることを思い起こし、連帯すべきだとDemsasらは語る。こうした理想を実現するためにはまず、私たちアジア系自身が「#StopAsianHate」とSNSに流す気になれない理由を正確に見つめなければならないだろう。この記事を書いている今日もまた新たなヘイトクライムが報じられているが、相変わらずこのハッシュタグは盛り上がってはいない。ニューヨークのチャイナタウンでの殺人事件を受けて書かれた記事で、中国系英国人のYuan Renは、モデルマイノリティを演じてきた実感を以下のように書き記している。

 

「長い間、私たちは「サイレント・マイノリティ」と呼ばれ、文句を言わない、つまり文句を言われる筋合いはないと思われてきた。私たちに対するシステマティックな偏見に対して、たとえかつてはそれについて叫んでいなかったとしても、私たちは怒っている。私の親の世代では、何も悪いことをしていないのに謝らなければならなかったり、昇進やリーダーシップの機会を与えられなかったりという話が後を絶たなかった。彼らは、すべてを失う危険を冒して権力と戦うよりも、仕事に留まる方が良いと信じていた。

 

私の世代の多くは、より統合された「西洋的」なやり方で、「呪われた」東アジアの遺産を振り払い、同世代の人々と同じようにしていれば、人種差別的な揶揄や冗談から解放されると信じて、何年も過ごしてきた。」

 

Renは今こそアジア系に対するヘイトクライムについて語る時だと呼びかけるが、おそらくまだ沈黙を選び、今いる場所に留まるべきことを選ぶアジア系も多いだろう。アジア系に対するヘイトを認めることの難しさは、アジア人たちが白人至上主義社会(これは別に欧米だけではなく世界中を覆い入子状になっている)のなかで内面化し、無意識的に隠蔽してきた契約、つまり「黙っている限りはそこにいて良い」という契約を自らの手で破ることへの恐れと関係している。それはこの記事を書きながらも筆者自身が感じている感情でもある。アジア系にとって、自分たちのコミュニティに対するヘイトクライムは、客観的に認めさせることが困難である以前に、主観的に認めることもまた困難なものなのかもしれない。それでも少しずつ問題が意識化されることで個々人の認識、ひいては社会への働きかけも変わると信じ、話題にし続ける以外に方法はないだろう。

identity
2022/02/27
執筆者 |
elabo編集部
写真 | Robinson Greig(unsplash)
クラウドファンディング
Apathy×elabo
elabo Magazine vol.1
home
about "elabo"