タトゥーアーティスト。大阪大学外国語学部ペルシア語専攻卒。幼少期から戦争に関する内容への興味があり、大学時代に退役軍人の心理ケアに魅力を感じる。タトゥーとの出会いをきっかけに、タトゥーが持つ様々な魅力を感じる。イランやフィンランド留学、イギリスへの滞在を通じ、タトゥーができる心理ケアを確信しその道へと進む。今後はフィンランドで活動予定。
柳澤田実
私は大学で10年近く教鞭をとってきましたが、ここ数年、学生たちの雰囲気が変わってきていると感じています。2000年代は日本全体が沈みつつあるにもかかわらず、みんな眠らされているかのように、社会や政治に対して無関心でした。しかし今は、日本を変えなければいけないという焦燥感が、世代を超えて共有されているように感じています。そしてその中心にいるのが若い世代です。
今回私たちが始める「elabo」は、「ジェネレーションZ」という、1990年代後半以降に生まれた世代が持つ価値観を出発点にしています。実際の編集には、文字通りジェネレーションZに属している20代と、そうではない私のようなジェネレーションXの世代が含まれていますが、多様性と変化を積極的に受け入れたいという価値観を選択した人を、広い意味でのジェネレーションZと捉えたいと思っています。
ジェネレーションZが共有する価値観として、個人の経験や気持ち(アイデンティティ)を大事にすることも特徴的だと感じています。アイデンティティの視点から、文化のあり方をいかに変えていけるかと考えたときに、本日のゲストであるタトゥーアーティストのTomiさんにぜひお話をうかがいたいと思いました。大阪大学のHPに掲載されたTomiさんのインタビューを読んで、ジェネレーションZに共通する価値観や問題意識をお持ちだと感じたのです。
柳澤
そのような次第でということで、今日は「タトゥーと個人のアイデンティティ」というテーマでお話をうかがいます。
そもそも、タトゥーは民族(民俗)的紋章、個体識別、刑罰、ファッション・美容、性的装飾、組織帰属の証として、長い歴史を持っているのですねます。他にも、1880年代の自由民権運動における職業的な政治活動家=壮士にも刻印されるなど、これほど多様な背景・意味を持つイメージは歴史的にも少ないのではないかと思います。
また、アメリカのポピュラーカルチャーでタトゥーがここまでメジャーなカルチャーになったのは1990年代だという記述もを読みました。実際に、2000年前後生まれのジェネレーションZの若者たちは、「タトゥーは自分たちの世代の表現だ」と強く感じているように思います。
日本のように体全体を覆っていく刺青(いれずみ)もあれば、現在メジャーになっているような文字や小さなモチーフを少しずつ入れていくタトゥーもあります。さまざまなタトゥーの起源がありつつ、それが現在タトゥーという総称で一般化しているのかなと想像しています。欧米と日本の状況は異なると思うのですが、まずはタトゥー全体の歴史と、それが個々の文化のなかで一般化していった経緯を、簡単に教えてください。
Tomi
タトゥーの起源やその歴史には諸説ありますが、僕なりに解釈してお話しします。世界的に見ると、シベリアとモンゴルの国境あたりで見つかった5300年前のアイスマンのミイラが施していたタトゥーが、現存する世界最古のタトゥーだと認識されています。しかしそのアイスマンのタトゥーは、傷口を治癒するために巻いた植物の色素が残ったものだとする説もあり、現在のように文様を楽しむための装飾的なタトゥーではなかったのではないか、とも言われています。はっきりと文様として施された最古のタトゥーは、2500年前のアルタイ王女のものだと言われています。
日本では、縄文時代から刺青が存在したとされていますが、その頃の資料や実際のものはあまり残っていません。呪術的な意味や、お守りとして刺青が嗜まれていたようです。
一気に時代が下りますが、タトゥーが世界的に広がったのは大航海時代です。列強から見た植民地である、東南アジアやポリネシアの民族が施していた体を埋め尽くすような「トライバル・タトゥー」の文化を、航海者が母国に持ち帰ったことで西洋に広がっていきました。その頃はごく一部の貴族が植民地の文化として楽しんでいたに過ぎず、広く一般にカルチャーとして受け入れられていたわけではありません。
タトゥー文化が世界的に大きく変化したのは19世紀です。この時代に、現代のタトゥー文化の基盤と呼べるものが確立し、一般の人々にも嗜まれるようになりました。西洋では、南北戦争の時に世界初のプロアーティストによるタトゥーショップが誕生したと言われています。南北戦争で負傷した兵士たちがその傷を隠すためや癒しとして、あるいは戦いのメモリアルとして刻むというのが、その頃すでにアメリカで一般化していました。ほかにも、「タトゥー・レディ」などいろいろな呼び方がありますが、全身にタトゥーを施したアメリカの原住民(ネイティヴ・インディアン)の女性を見せ物とするような文化も、19世紀には存在していました。つまり、最初は階級の高い貴族と、植民地の人々という両極が嗜むものだったのが、この頃には兵士やその他の階級にも浸透していたと言えます。
一方、日本でタトゥー文化が花開いたのは、それより少し前の江戸時代だと言われています。刑罰ややくざの刺青を想像するかもしれませんが、そうではなく、その当時一般的だったのは、漁師や火消しが身分証明のために施していた刺青でした。彼らは職業柄、水難事故や火傷の危険に晒されており、場合によっては遺体が身元不明になってしまう可能性があったので、彼らはなるべく全身に刺青を施していました。ほかにも、水場でふんどし姿で働く人たちが、素肌を人前に晒すことを恥じ、ボディスーツのように全身に刺青を施していました。これらが、今も残る和彫の原型だと言われています。
しかし、欧米化を進めるにあたって、日本政府は1872(明治5)年に文身禁止令を発令し、刺青を禁止します。その理由は、大きく2つあります。ひとつは、前時代的な江戸文化の象徴を消し去るため。そしてもうひとつは、当時、刺青は琉球やアイヌの民族にも嗜まれていたため、その文化を消し去ることでした。琉球や沖縄に対するタトゥーの禁止令も、1890年代に何度か出されます。
この禁止令が、柳澤さんのお話にもあった日本の明治期の壮士のような政治思想を持つ人々にタトゥーが嗜まれるきっかけになったのではないかと、僕は考えています。壮士であれやくざであれ、政府が禁止しているものを絶対に消えない形で自らに刻む。それはまさに、反骨精神の象徴ですよね。
柳澤
ありがとうございます。タトゥーの文化は、最初からカウンター・カルチャー的な意味合いがとても強かったのですね。西洋の歴史的経緯ものにもも、メジャーに対する明確なカウンター・カルチャーというかたちではないものの、西洋の主流文化へのオルタナティブにありがちな、エキゾシズムのようなものを感じます。列強から見れば「野蛮な」人たちの嗜みを、貴族が消費する。つまり、最初からタトゥーに対しては非対称な見方や意味合いが含まれていたということに、私は驚きました。
Tomi
世界的に見ると、タトゥーがそのようなカウンター・カルチャー的な色を帯びている国は、アジア圏にしかありません。代表的なのは中国です。罪人や反社会的勢力と結びつき、その象徴としてのタトゥーが残っていました。また、原住民たちのタトゥーは呪術やお守りの意味合いが強かったのですが、そのような背景を理解しない入植者がそれを持ち出し、植民地の遊びとして嗜んでいたという点では、同じくカウンター・カルチャーの要素を持って発展していったとも言えるかもしれません。
そこからタトゥーがよりポピュラーになったのは20世紀になってからですが、そこで西洋と日本のあいだで、タトゥーに対する価値観が大きく違ったものになります。日本の場合は、1872年から禁止令が継続していましたが、1948(昭和23)年に、GHQの助言のもと禁止令が解除されます。長きにわたって政府から禁止されたため、日本の刺青文化は、アンダーグラウンドでひっそりと営まれていた。そのため、やはり他国に比べてカウンター・カルチャー的な要素が色濃いのだと思います。必然的に、政府に対する反抗心や反社会勢力と結びつくような環境にあったわけです。
柳澤
戦前の日本政府はいろいろなものを取り上げ、禁止していたのでしょうわけですが、刺青でさえも、GHQの介入によって解禁されたのですね……。本当に、日本は外圧によってようやく変わるという、いつもこのパターンなんだなと感じさせられます。ということは、アメリカの当時の常識では、もはやタトゥーは近代国家において禁止するべきではないものだという認識だったのでしょうか。
Tomi
GHQが日本の憲法・法律に介入するにあたって、彼らはできるだけシンプルな決まりをつくろうとしたようです。そのため、余分な禁止令や束縛は極力廃したふしがある。当時のアメリカでは、職業上の縛りはあれど、タトゥーはかなり一般的に嗜まれていました。そのため、近代国家が禁止する必要のないものという認識もあったのだと思います。
歴史に戻ると、アメリカを中心とした西洋のタトゥー文化の最盛期と言われているのが、1970年代です。そのきっかけが、第二次世界大戦後の国際紛争でした。ベトナム戦争に出兵しているアメリカ兵士や、その戦争に反対するヒッピーたち、いずれにもタトゥーが嗜まれ、人々のあいだから、多種多様なタトゥーデザインが考案されました。
一方日本は、禁止令こそ解かれたものの、新しいタトゥー文化が入ってくる機会はまだまだ乏しい状況でした。そのため日本のタトゥー文化が最盛期を迎えたのは、やや遅れて1990年代だと僕は考えています。そのきっかけは、まさに80年代後半になって、ようやく海外からタトゥー文化が入ってきたことでした。90年代初頭には、ポリネシアや東南アジアのトライバル・タトゥーが、90年代後半には、アメリカのトラディショナル・タトゥーが入ってきた。刺青はやくざや犯罪者がしているもの、という乏しい認識しかなかったところに、海外からさまざまなデザインが流入したことで、「タトゥーって、こんなに幅広く自由に嗜んでよいものなんだ」という認識が広がりました。
柳澤
たしかに90年代は、HIP HOPは言うまでもなく、多くの海外のアーティストがカジュアルにタトゥーを施しているイメージがあります。ちなみに、日本の90年代のアーティストで、タトゥー・アイデンティティを垣間見ることができた有名人はいますか。
Tomi
名前まではわかりません。というのは、当時は今以上にタトゥーが入った肌をメディアで晒すことに厳しい時代だったためです。密かにタトゥーを嗜んでいた有名人はいたと思いますが、堂々とそれを露出している有名人は、そうそういなかったと思います。
しかし当時『TATTOO girls』をはじめ、タトゥー雑誌が何冊かありました。その雑誌内では、モデルや若い人たちのタトゥースナップが掲載されていました。彼・彼女たちは、海外のポピュラーなカルチャーであるタトゥーを、ファッションとして取り入れました。やはり大衆に向けて放送されるテレビではなく、雑誌というメディアを通して一般的になったのだと思います。
柳澤
とてもわかりやすいご説明をありがとうございます。ここまでは主に日本とアメリカの話をうかがいました。Tomiさんは今年の夏にフィンランドに渡り、そこでタトゥーアーティストとしてやっていくことを目指していらっしゃいます。ぜひ、フィンランドを含むヨーロッパのタトゥー文化についても教えてください。
Tomi
北欧のタトゥーといえば、バイキングのタトゥーが代表的です。バイキングのタトゥーの中で有名なのが、スウェーデンの言語の起源となったノルド地方のおまじないの文様です。彼らは、この言葉を戦いに出る際のお守りとして体に刻んでいたようです。野蛮さの表現であり、お守りでもある。バイキングのタトゥー文化には、タトゥーのトラディショナルな両方の側面が備わっていたわけです。
ただやはり、バイキングが嗜んでいたために、北欧におけるタトゥーの印象も、現代まであまり良いイメージではなかったようです。それが世界の他の地域と同じく、70年代からポピュラーになり始めますが、当初タトゥーを嗜んでいたのは、日本でいうヤンキーや半グレのような人たちでした。
最も有名なのはロシアですが、北欧にも同じく「プリズン・タトゥー」と呼ばれるタトゥーがあります。反社会的な人たちのタトゥーだけを見ると、アメリカの場合は、所属しているギャングのチーム名を腕に記すなど、日本のやくざの刺青に近い感覚があります。しかし、ロシアの場合は、その形がまったく違っているんです。政治犯が刑務所内で施すタトゥーなので「プリズン・タトゥー」と呼ばれています。刑務所内で手に入る、ギターの弦やラジオのモーターを道具にし、紙を燃やして炭をつくり、それをインクにしていました。図柄としては、当時の連邦政府に対する反抗心を表現したものが多いのが特徴です。例えば、レーニンやスターリンの顔を大きく入れるんです。当時は、警察官が普通に一般人を銃で撃つ時代だったため、レーニンの刺青に銃を向けるさまを皮肉っていたわけです。
ほかにも、ロシアの代表的な格好であるロシア帽を被り、赤軍の兵士のユニフォームを着た人物の肩に死神が手を乗せているような図柄に、「death iscertain, life is not.」と書かれているタトゥーなども象徴的です。「ソ連にとっては死だけが確かで、生はそうではない」という非常に皮肉のこもったメッセージです。北欧はロシアと近いこともあり、ロシアから入ってきた「プリズン・タトゥー」をモチーフにしたデザインも多いのです。フィンランドで、歴史的に脅威だったロシアの政治犯の文化をもじり、反ロシアの表明を込めてそのデザインのタトゥーを入れているという人に、何人か会ったことがあります。
とはいえ、スウェーデンやフィンランドの現状を見ると、かなり幅広いデザインがあり、政治的な意味合いは薄れ、ファッション化しています。70、80代の方にもお話を聞きましたが、昔は反抗的な人の文化だったけど、今はそういうイメージはないということでした。
柳澤
北欧の国家は、福祉が充実したリベラルなイメージの一方、ブラックメタルをはじめ反骨精神を帯びた文化が色濃く残っているところが非常に魅力的ですよね。そうした意識がタトゥーにも垣間見られるというのは驚きです。
Tomi
おっしゃる通りです。そして反骨精神とともに、アイデンティティを求めるようなデザインもしっかり残っています。ノルドのモチーフは、今でも人気があるんですよ。意識的にそうしているような節は感じませんが、やはりそこに自分の民族や生まれた場所への愛着があるのかもしれません。日本人が和彫の文様に親しみを感じるのと同じかもしれません。
柳澤
ここからは「アイデンティティ」について、お考えをうかがっていきたいと思います。まず、Tomiさん自身のタトゥーとの出会いについて教えてください。また、Tomiさんが大学でペルシア語を専攻していたこと、イスラム教に触れたことは、タトゥーへの関心と繋がっているのでしょうか。
Tomi
少しタトゥーから離れますが、まずタトゥーとの出会いからお話しします。僕はアメリカの軍人クリストファー・スコット・カイルによる『アメリカン・スナイパー』(2012)という本から大きな影響を受けました。オタクというほどではありませんが、元々ミリタリーが好きだったんです。そこから、退役軍人のPTSDや帰還兵のケアについて知りました。昔から人の話を聞くのが得意だったこともあり、それで兵士のケアをしたいと思うようになったんです。それで、当時は別の大学に在籍していたのですが、再受験をしました。現代も紛争がある国や地域の言語と文化を学ぶため、大阪大学のペルシア語の学科に入学し直し、学びました。
入学当時は、傭兵に入って戦争を体験しようかと考えていた時期もありました。ケアについて考える大きなきっかけになったのが、東日本大震災のボランティアでした。福島の原発のある地域でボランティアに取り組む中で、PTSDに苦しむ兵士と同じく、日常生活で苦しむ人たちの悩みに向かい合うことになったんです。これはピンポイントで解決できるような悩みではない、もっと幅広く考える必要がある、と強く感じました。それで「ケアを目的にしたケア」ではなく、日常的に人が集える場所の必要さを感じ、自らもそういった存在になりたいと思いました。
その後、アメリカ留学から帰ってきた親友と再会します。そのとき、彼の体にタトゥーが入っていたんです。当時の僕は、タトゥーに対しては負のイメージしか持っていなかったし、自分には無関係なものだと思い込んでいました。それでも今思えば、初めて生で見たときに何かピンときたんだと思います。その後、自分もタトゥーを入れました。やってみると、タトゥーとは遠いものではなく、自己表現のひとつなんだと身をもって感じることができました。当時、タトゥーはまだまだ高額を支払わないと入れることができなかったので、マシンを購入しました。自分でタトゥーを彫ることができるようになったとき、親友が「お前に入れて欲しい」と言ってくれて、とても嬉しかったですね。
僕は、タトゥーを入れるという行為よりも、デザインを一緒に考える際の会話に、とても意味を感じています。タトゥーを彫るという、相手に痛みを与える行為が可能になるには、お客さんと施術者のあいだの信頼関係が不可欠です。それを築くまでの対話の中に、僕はかつて兵士にしたいと思っていたケアやカウンセリングの要素を見出したんだと思います。
柳澤
昨今頓に今でいう「癒し」と呼ばれるのような安っぽいヒーリングゆるっとしたものを「ケア」と考えることに、私は賛同できないのですが、Tomiさんのお話に共感するのも、癒しを目的にするようないやらしさがないところなんだと思いました。苦しんでいる方が目の前にいて、心を痛めている人が山のようにいて、何かをする必要があった時に、真綿に包むような安易な方法を選択しないこと、癒し自体を目的としないということは、「ケア」を考えるうえでも非常に重要な鋭い視点だと思います。そうした感覚は、どのように培われたのでしょうか。
Tomi
やはり親友がいれたタトゥーを初めて生で見たときに、自分の中で言葉にはできないけどずっと持っていた感情の存在に気づいたんだと思います。福島でのボランティア活動を通して、ニュースには映されない現実に触れ、何を信じていいのかわからないと思ったときに、タトゥーに何かを感じたんです。「絶対に消えないものを自らに痛みを伴って施す」という行為のハードルの高さのせいか、そこには何か信じられるものがあると自然に思えました。気持ちや考え方は常に移り変わっていくものだと思いますが、変わらないものを残すこと、それがタトゥーの本質なのかなと思います。
柳澤
Tomiさんが最初にご自分に入れたタトゥーが、アラビア語の「マーシャ・アッラー( مَا شَاءَ ٱللَّٰ)(神様の望みしもの)」であったのも印象的です。その言葉を選んだのはなぜですか。
Tomi
いろいろな理由がありますが、最も大きな理由は、僕がフリースタイル・フットボールをやっていたためです。足にお守りのようなものを施したかったんです。「マーシャ・アッラー」は直訳すると「神様の望みしもの」ですが、ムスリム圏では褒め言葉の最後に添える言葉として使われます。それが転じ、現代では、大切な家や車に「マーシャ・アッラー」と自ら刻み、邪念を防ぐという文化もあります。僕の場合も、足を大切にしたいという気持ち、そして神様から褒められるような足になって欲しいという思いを込めて、この文字を足に刻みました。
また同時に、ムスリムではない僕が「アッラー」の名前を体に刻むことの意味についても考えました。地面に近い足にその名を刻むことは、敬虔なムスリムにとってはタブーとみなされる可能性もありましたから。しかし、そもそもアッラーとは、ペルシャ語でもアラビア語でも、神の名前ではなく、神そのものを指す言葉です。アッラーは、キリストも含むすべての神様を指しているのだと僕は思っているんです。それが歴史やさまざまな解釈ののちに、アッラーが唯一の神となり、あたかもアッラーという名の神様がいるかのように解釈されてしまった。その風潮はどうなんだろう、と思ったんです。僕はムスリムでもないし、信仰する宗教があるわけではないけれど、神様が人間にとって大切なものだということは認識しています。そんな僕が、あえて体にアッラーという言葉を刻むことで、それが文字通り神様を指しているんだ、ということも表現したかった。
柳澤
Tomiさんは、一生消えないものを自らに刻むというときに、イスラム教徒というバックグラウンドの異なる人々の言葉を選びました。しかも、それだけにとどまらず、自分がその言葉を体に刻むことの意味までも理解し、引き受けた上で、そこに至っている。本当に感銘を受けました。紛争という人間の傷つけ合いに興味を持ち、ケアをしたいと志したこと、あるいは、個々の個別の宗教を超えた超越的なするものの存在に気づいていることも、本当に驚くべきすごいことだと思います。いずれも、日本ではなかなかそのような超越的な存在に思い至ることはが困難だと思われますなものですから。
Tomi
誰にでも、自分専用の神様というか守り神やジンクスのようなものがあると思います。宗教と言うほどではなくても、何かに祈りを捧げている以上、そこには何か存在がある。僕は、神様に対する解釈は個人の自由だと思っていて、どの神様や宗教が最も尊いというのではなく、みんながそれぞれ幸福になれる対象を信仰すればいいと思っています。なぜ、ムスリムはそうじゃなくなってしまったのか。ムスリム教という素晴らしい考えがそうなってしまったことへの悲しみを表現したかったのかもしれません。自分にとっての神様が何かなんてわからないけど、僕はそれをアッラーと呼びたいと思っています。こう言うと、やや攻撃的に感じられるかもしれないですが。
柳澤
今のお話は、非常に最も本質的なところを突いていると思います。タトゥーを刻むという行為は、それぞれが自分にとっての神様のようなものを作っていくようなことなんですね。そして、Tomiさんのカウンセリングと施術は、そんな一生消えないものを一緒に探す行為のように思えます。
Tomi
まさにそうです。僕にとっては、やはりタトゥーを彫ることは、ケアとの結びつきが強いように思います。僕にとってのタトゥーのアイデンティティが確立されたのが、まさに北欧でした。北欧は、幸福な国と言われる一方、自殺率もとても高いのは有名です。その中でタトゥーを嗜んでいる人がとても多い。その理由は二つあって、一つはタトゥーショップが心の拠り所となっているから。もう一つは、彼らはメイクや着飾ることで、自分を幸せにしているからです。みんな違うものを、それぞれ自由に刻みにやってくるんです。
海外でも日本でも、タトゥーショップに来るお客さんは、アイデンティティを一生消えないかたちで刻みにやってくる。感度が高い人が多いのです。いろいろな経験をしているし、思いも人それぞれで、まったく違います。また、タトゥーは、誰に入れてもらうかも大切です。技術よりも、人につくお客さんが多いのも特徴的だと思います。先ほどもお話ししたように、僕はタトゥーアーティストと客のあいだで最も大事なことは、信頼関係だと思っています。針を刺すときに体がこわばると、きれいにインクが入りません。そういったことを避けるためにも、信頼関係の構築が一番で、相手が何を大切にしているのかを汲み取ることを非常に重視しています。さらに言えば、相手の、というよりも、お互いのアイデンティティを一緒に作ることが大事だと思っています。
柳澤
先ほどから何度か言葉にされていますが、タトゥーがこれほどまでにアイデンティティと結びつくのは、やはり身体に刻み、痛みを伴うことが大きく関係しているのでしょうか。
Tomi
傷口をカバーするタトゥーの依頼は、不思議と多いです。今の技術であれば、傷口をほぼ消し去ることもできるらしいのですが……。そのときや出来事を忘れないよう、ある種の戒めとして残したい。けれど、それをそのまま残すのではなく、タトゥーで彩りたい、と相談されることがあります。あるいは、カバーアップのタトゥーを入れることもあります。僕はその人が過去に刻んだ作品を消し去ることはあまりしたくありません。お客さんも、そのタトゥーを入れた過去の自分がいて、今の自分がいるんだから。だから、今を解釈したいという思いを持って、過去の作品に手を入れ、新しい形にすることがあります。
ほかにも、白インクで施すタトゥーがあります。それは白く残るのではなく、肌に馴染んでいって最後には黄色っぽくなります。だからはっきり見えない作品になるのですが、そのインクを使って、自分の信念や大切な言葉、モチーフを入れたいという人も多いですね。人に見せるものではないけど、自分に刻みたいということだと思います。本当に、お客さんの数だけ思いがあるんです。
柳澤
Tomiさんは、ご自身を「タトゥーアーティスト」と自称されていますね。「タトゥーを彫る人」に対してはいろいろな呼び方があると思いますが、「アーティスト」であることにご自身とタトゥーのアイデンティティを見出しておられます。その辺はどのように自覚されていますか。
Tomi
おっしゃる通り、「タトゥーを施す人」に対する呼び方はさまざまです。「彫り師」「刺青師」「タトゥーアー」という人もいます。しかし、自分は「アーティスト」がしっくりきています。ただ人の体に文様を施すのが仕事だとは思っていなくて、やはり施す模様も一生ものです。その作品は、自分に対する思いと同じくらい大切なもので、その作品を施すことは、自分の体を労るのと同じくらい大切なことだと思っています。それを形にする過程は、デザイン力や技術だけでは決して成し得ないものです。
僕はデザインを専攻していたわけでも、技術を誰かに教えてもらったわけでもなく、全部独学でやってきました。もちろんそれで勝負していきたいわけではないという思いもあるけど、僕が僕らしいのは、やはりお客さんと作品を構築していくときのコミュニケーションだとも、自信を持っています。一緒に作品を作るのは、僕の技術だけでもできないし、その人の体だけでもできませんから。「体を借りる」というと変な言い方ですが、体に触れることを許してもらう一歩でさえ、とても大きなことです。特に日本では、ボディタッチのコミュニケーションが浸透していないので、それを一つひとつ許してもらって深めていく対話や過程、その空間自体がアートだと思います。体に一生残す以上、美しい作品を残すのは当然で、その場限りではなく、その人がタトゥーを入れた後の人生自体を、ケアというか作品の一つと捉えたいんですよね。タトゥーを入れ終わった後「これで頑張れる」というお客さんもいるし、「背中に入れたタトゥー、見えるところに入れればよかった。毎日鏡で確認して、元気を出しています」なんて言われると、彫っている時間だけではなく、その人の人生に携われているんだと実感する。それって、まさにアートだと思ったんです。だから、そういう意味で、自分をアーティストだと言いたいと思っています。
柳澤
最後に、タトゥーの未来についてお考えを聞かせてください。Tomiさんは「日本らしい透明なタトゥー文化」とはどのようなものだとお考えでしょうか。
Tomi
タトゥーへのイメージは、決して今もよくなったわけではありません。2012(平成24)年、当時の大阪市長だった橋下徹が、市の職員の刺青の有無をチェックしたというニュースを覚えている人も多いと思います。「オリンピックで外国人客が大勢日本にやってくるから、温泉でもタトゥーが容認されるようになる」なんて話もありましたが、実際はそうでもありません。良いイメージに変わっていくだろう、という楽観的な見通しを持っている彫り師やアーティストはほとんどいないと思います。
透明性とは、文化的な意味より、提供する側の環境に対して求められることのように思います。実際、僕も日本人のタトゥーの捉え方が変わるべきだとは思っていないんです。成り立ちを含む、そのアングラ性にも魅力があるし、僕はそこにもこだわり続けています。
しかし、いくらアングラな文化だといっても、実際の現場があまりにも無法地帯になっていることは問題です。彫る人たちに対する法や環境の整備が、まったくなされていないのです。臭いものに蓋をし続けているのが、日本の社会なんですよね。その点、韓国は進んでいます。ソウルにタトゥーの専門学校を作っているし、彫り師の免許制度の整備も進めていると聞きました。新しい文化を吸収する力が、優れているのだと思います。アーティストと政治がきちんと対峙し、社会はその文化の存在を認め、アートは社会でどうあるべきかを模索している。こうした話を聞くと、日本はとても保守的に感じられます。
柳澤
本当にそうですね。なんとなくタトゥーは怖い、苦手だというって苦手だな、という感覚的な忌避感が歴史的経緯からあったとしてもことは措いて、社会は一つひとつの文化に対して公正さを保たなければならないという前提が、日本には欠けているように思います。臭いものであろうと、近代国家はものごとに公正にあたるべきなのですが……。日本人はもともと浄不浄の感覚が強いと言われますが、不浄の嫌悪感とまではいかなくても、何かよくないと思う感覚に、タトゥーは触れているんでしょうね。そしてだからこそ、タトゥーは魅力的なのだと改めて気づかされました。
眞鍋ヨセフ
今日、タトゥーアーティストであるTomiさんが、タトゥーの「負」の部分について多くの時間を割いて語っていたのが、とても印象的です。負の思い出や辛さの共有、痛みを与えること、アングラでいること、隠したいものなど、とにかくネガティブなものに対するお話がたくさんありました。タトゥーと言われると、ファッション性やポジティブな意識が強いものだと思っていたので、とても驚きました。それに、タトゥーをケアとして意識しているなんて、普段タトゥーと聞いても絶対に出てこない視点だと思いました。
僕自身は、もし親友がタトゥーを入れていたらとても大きなショックを受けると思います。Tomiさんのような刺激を受けることはないと思います。しかし、今日のお話を聞いて、なんでショックを受けるんだろう、ということまで考えられていなかった自分に気づきました。どうして僕がネガティブな思いを発動させてしまうのか。その理由を探ることは、とても大事だと感じました。
Tomi
僕自身も、そのネガティブとは何なのかを模索している最中だと思います。僕にとって、タトゥーは大事なものです。大事だから見せられないという面もあるかもしれないけど、やはり電車で隣の席が空いたりすると悲しい思いをするし、見えないように年中長袖を着ている自分に気づいて悩むこともある。僕のタトゥーに対する態度というか、自分のタトゥーの扱い方が、これでいいのか、と思うことがあるんです。タトゥーを入れている者だからこそ、社会のマナーを守ることに妙に意識的になったり、周囲のゴミを拾って帰るようなことさえあります。
アングラであることにも希望を持つ反面、自らにもそういう面があることを引き受けて、タトゥーとの共存の仕方を模索していかなければならないと思っています。
柳澤
本日は、タトゥーが持つ深遠な意味に触れさせていただき、本当にありがとうございました。
[2021年3月24日、Zoomにて]
タトゥーアーティスト。大阪大学外国語学部ペルシア語専攻卒。幼少期から戦争に関する内容への興味があり、大学時代に退役軍人の心理ケアに魅力を感じる。タトゥーとの出会いをきっかけに、タトゥーが持つ様々な魅力を感じる。イランやフィンランド留学、イギリスへの滞在を通じ、タトゥーができる心理ケアを確信しその道へと進む。今後はフィンランドで活動予定。