世界のZ世代オンライン・マガジンの台頭
今、Z世代を中心とする若者によって作成、制作、配信されるオンライン・マガジンが、世界中で興隆しているそうだ。言うまでもなく、私たち「elabo」も、日本語で配信されている、そのようなオンラインメディアのひとつである。
若者のジャーナリズムで大切なのは、時事問題に関する詳細な事実以上に、その問題についての若者の意見である。
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2021/07/12
執筆者 |
elabo編集部

今、Z世代を中心とする若者によって作成、制作、配信されるオンライン・マガジンが、世界中で興隆しているそうだ。言うまでもなく、私たち「elabo」も、日本語で配信されている、そのようなオンラインメディアのひとつである。新聞やラジオ、テレビ番組は、長い間、私たちの生活を支配してきたが、デジタル化とオンラインの急速な発展により、ネットで配信されるニュースがそれらに取って代わろうとしている。そうしたオンラインのニュースメディアのひとつとして台頭してきているのが、オンライン・マガジンだと言える。この記事では、この若者主導のオンライン・マガジンの出現がもつ特徴と意義、また伝統的なジャーナリズムに与えうる影響について、メディア研究を行っているJessaline Tanjungの記事「若者主導のオンライン・マガジンの台頭」をベースに考える。

 

 

オンラインマガジンとは?

 

オンライン・マガジンとは、旧メディアと同様に、ジャーナリストが作成したジャーナリズムコンテンツで構成されているが、物理的な印刷物ではなく、オンライン上にアップロードされたものだ。InstagramやTwitterなどのデジタルプラットフォームで配信されるが、ほとんどのオンライン・マガジンは(「elabo」同様)ウェブサイトも持っている。

 

オンライン・マガジンを指す言葉として、ZINEという言葉が使われることがある。ZINEはmagazineから派生した言葉で、通常は個人や少人数のグループのメディアである。MINDOVERMATTERのZINEの説明によると、「オリジナルまたは流用されたテキストや画像を集めた少部数の自費出版物」となっている(MINDOVERMATTER, 2020)。

 

印刷されたZINEには、豊かな歴史がある。それはDIY文化の革命であり、言論の自由を促進する出口でもあった。西欧社会でZINEが盛んになったのは1930年代初頭だそうだが、ZINEの作成自体はなんと1517年まで、要するに宗教革命の時代にまで遡ることができるという(Zobl, 2004)。 ZINEが作られた背景には、主流のメディアで重要視されていること以外の事柄について、人々が自分自身を表現できる、自分自身が信じるものを主張できる場という主旨があった。カウンターカルチャーの時代には、パンクミュージックやフェミニズムがZINEの主要なテーマであったし、フェミニズムについては現在も継続していると言えるだろう。アメリカでは2000年代に入り『Seventeen』や『Teen Vogue』のような伝統的な雑誌が、ウェブサイトをメインな発信手段へと切り替えたが、それらと別個に、最初からオンラインでの制作を目的としたマガジンが台頭してきている。

 

 

ジャーナリズムとしてのオンラインマガジン

 

スマホを片手に日常生活を送るようになり、ニュースを消費する文化の形態も変化した。ラジオのニュースを待ったり、朝刊を読んだりといった、ニュースを消費するために設けられた特別な時間はもはや存在していないと言ってもいいだろう。私たちはオンラインでニュースを見つけて読み、自分の好みに合わせて、どのニュース記事を読むかを決めることができる。ニュースとの出会いは、ネットやSNSが中心になることにより、ますます偶発的なものになっている(Boczkowski et al., 2018)。私たちは自分のSNSフィードでたまたま出会ったニュースを、素早く、簡単に読み、共有する。これが、良い悪いを別にして、スピードと利便性を重視する現代のライフスタイルのなかでのジャーナリズムになっている。

 

Tanjungは、最近ではオンライン・マガジンの数や人気が高まっているものの、伝統的なジャーナリズムに取って代わるものではないと述べる。両者はフォーカスしている点が異なるからだ。オンライン・マガジンから得られるニュースは、メインストリームのメディアで見られるような速報性のあるものではない。また伝統的ジャーナリズムと若者主導のジャーナリズムでは、社会的な役割も異なる。前者は客観的に何が起きているかを伝え、後者は主観的に若者の声を増幅させるために存在している。若者のジャーナリズムで大切なのは、時事問題に関する詳細な事実以上に、その時事問題についての若者の意見である。

 

 

若者ジャーナリスト

 

オンライン・マガジンの書き手は主に若者だが、こうした若いジャーナリストによる記事には、従来のジャーナリストが書いていたものとは異なるユニークな特徴があるとTanjungは分析する。若者ジャーナリストの記事には私的な意見が多く、感情的で、個人的傾向が強い。日本のメディアだと、こうしたテキストの特徴はnoteに顕著だと言えるかもしれない。Tanjungは「若者ジャーナリストは、市民の目撃者としての活動を行う市民ジャーナリスト」だと分類している。

 

市民の目撃とは、あくまでも一般の市民が経験した出来事を目撃することであり、あくまでも1人称の視点で観察される点に特徴があるそうだ。目撃は2段階のプロセスによって成り立っており、まず感覚的な体験から始まり、目撃者による解釈と応答という言説的な行為へと進む。現代の若者のジャーナリストは、外に出て目撃するよりむしろ、インターネットから情報源を得て、得られた情報からシェアすべき事実を報告したり議論していると言える。「生々しく個人的な洞察、頻繁な出来事から引き起こされた感情は、細心の注意を払った客観的な報道という使い古された慣習のなかでは、不可能ではないにしても、伝えることが難しい」(Allan, 2016)と言われているように、大手メディアでは大幅には許されない「個人的であること」が許容されることで、若者ジャーナリストが取り上げるトピックは多様で豊かなものになる。

 

ここでTanjungが紹介している例、「Bobblehaus」というZ世代が主導するオンライン・マガジンの記事を取り上げよう。「Bobblehaus」は、2人の中国系アメリカ人女性によって設立された、デッドストックとリサイクル素材のみを使用した再生可能でジェンダーレスなファッションを提供するショップと記事によって構成されたWebサイトである。

Tanjungが取り上げているのは、Wen Hsiaoのアムステルダムでの「Stooping」に関する記事である。「Stooping」とは、ニューヨーク市中心部で見られる要らなくなった家具を道端に置いておくと誰かが持っていくという風習だ。見知らぬ人に寛大な住人が多いニューヨークらしいこの習慣は、最近「Stooping」をテーマにしたインスタグラム・アカウントができたことでさらに盛り上がっているようだ。インスラグラムには、アカウントを運営している人たちが実際に道端や粗大ゴミで見つけた家具、そして、利用者から寄せられた家具の写真の両方が並んでいる。まさに「誰かのゴミは誰かの宝!(One person’s trash is another person’s treasure!)」という標語通り、可愛らしくデザイン性の高い家具は見ていて飽きない。Hsiaoの記事「A STOOP-BY-STOOP GUIDE WITH@STOOPINGAMS」(2020年11月16日)では、このニューヨークの楽しくサステナブルな習慣をインスタグラムを用いてアムステルダムで始めた人物の紹介、そして実際にアムステルダムで「Stooping」が成功している実例が報告されている

 

それに加えてHsiao自身がアムステルダムで家具を見つけ投稿した経験も報告されており、間接的に読者に「Stooping」を実践することを勧誘している。

 

Tanjungが述べるように、人が何かを「目撃」し報告する理由のひとつは、同じ活動を他の人と共有したり、推奨するためである。Bobblehausの趣旨(About)には、Web上の全ての情報は自分たちのコミュニティのためにコミュニティから発信されるとあるが、こうしたコミュニティベースの、しかも楽しい活動の共有は、若者たちの市民活動としても大きな意味があると言えるだろう。

 

次に、若者ジャーナリズムの顕著な特徴である、感情的表現(日本語の現代の言い方では「エモさ」)に関連し、もうひとつの魅力的なZ世代メディアを紹介したい。「Lithium Magazine」は、「ルネサンス(再生)」というテーマを掲げた全てのユース向けられたマガジンで、主にニューヨーク市内の大学に通うさまざまな人種の大学生によって運営されている。Z世代のテーマである、ファッション、ネットカルチャー、ジェンダー、人種、ファッション、サステイナビリティなどのテーマが、非常にパーソナルで「弱さ/傷つきやすさ(vulnerability)」を大切にした視点から論じられている。例えば2021年7月11日時点でトップにランキングする記事「Z世代の障害者ユーモアを深堀りする」は、17歳の時に自己免疫疾患に罹ったライターが、TikTokで「#disabledtiktok」にタグ付けされた、障害者たちによる一連の投稿を紹介しており、非常に読み応えがある。最後の「障害を持つことはクソだが、悲しむべきことではない。実際、時にはめちゃ面白いこともある(Havinga disability sucks, but it doesn’t have to be sad. Sometimes, it’s reallyfucking funny.)」という結論は大変にリアルで強い。ほかにも、現代のZ世代に流行する、そして「Lithium Magazine」自体も掲載している自分の「弱さ」を売りにする文章が持つ問題を、ライター自身が反省的に考察する記事もあり、その考察の深さは私たちが生きる時代そのものを問い返しており見事としか言いようがない。

 

 

オンライン・マガジン革命がもたらすもの

 

 

Tanjungは、若者主導のオンライン・マガジンは、独自のジャーナリズムのスタイルを生み出すことに成功していると論じている。そしてこのジャーナリズムは、従来のジャーナリズムに取って代わるものではなく、それ自体として残るものなのだと結論づけている。私たち「elabo」の試みも含め、若者主導のジャーナリズムが、新しいニュース消費だけに終わらないことを願う。今回紹介した「Stooping」や「障害者のユーモアの深掘り」といった記事が示すのは、せわしない消費活動が加速する社会のなかで、人は、やはりゆったりと家具を探し、それを使ってくれる誰かのことを考えたり、人の痛みや自分の痛みについて、痛みを語ることについて深く考える時間を必要としているということではないかと思う。オンライン・マガジンが革命を起こすとしたら、間違いなくその方向に進むべきであるし、喜ばしいことにその方向に進んでいると私たちは感じている。

参考文献

- Stuart Allan, “Citizen Witnessing:Revisioning Journalism in Times of Crisis,” in Tamara Witschge, et al., eds., The SAGE Handbook of Digital Journalism,SAGE Publications, 2016.
- PabloJ Boczkowski, Eugenia Mitchelstein, Mora Matassi, “News Comes across When I’min a Moment of Leisure: Understanding the Practices of Incidental News Consumptionon Social Media,” in New Media & Society, 20(10), 3523-3539, January 2, 2018.
- ElkeZobl, “ZINES: Zine History, The ZineNetwork, Topics, and Teaching Zines in Classrooms,” 2004.

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2021/07/12
執筆者 |
elabo編集部
写真 | Nicole Angelova (Unsplash)
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