オリンピック目前、IOCのバッハも来日、衆議院選挙前の地方選挙もあり、日本では考えなければいけない問題はてんこ盛りだけれど、大学生は学期末のテストに追われ、とりわけ23卒生の多くはインターンシップの申請や準備に追われている。
このインターンシップという制度が日本に本格的に導入されたのは1997年だそうだ。インターンシップとは企業の現場で就業訓練を積むためのプログラムとして企業から提供されているが、この制度の内実は、単なる説明会に毛が生えたような短期インターンシップから、1〜3カ月などの長期の有償勤務まで含まれていてじつに曖昧である。要するに日本では「就業訓練」に満たないプログラムが、20年以上かけてインターンシップとして定着してしまった状況にある。この状況を鑑み、2021年度からは、大学と経団連からなる「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」の要請により、インターンシップの定義はより厳密になったそうだが、雇用契約にするために企業側の負担が増え、長期インターンシップの数がますます減り、結果学生側にとってインターンシップ自体が狭き門になったりと、むしろ混乱が続いていると報告されている。
インターンシップにおいては、そのプログラム内容が曖昧なだけではなく、企業側が何を目的としているかもじつは明示されてはいない。表向きは「インターンシップとは企業が学生に就業体験を提供すること」となっているが、実際には、説明会と選考の中間のような内容が多く、優秀な学生を囲い込む青田刈りであることは暗黙の了解となっており、さまざまな就活系のサイトでもそのように報じられている。ベンチャー系の企業が、単に労働力が必要で実施している場合もあり、そのように無償で働かせるだけのプログラムは、ブラック・インターンシップと呼ばれている。いずれにしても、かつて就活における定番アピールポイントだった「アルバイトや学生生活で頑張ったこと」に、インターンシップはとって代わった。就業体験こそが「使える人間」であることを示す重要なシグナルとなったのである。その結果、就職活動において「学生生活で一番努力したことは?」というテンプレの質問に対して、就活生が「就職活動です」と回答するという、なんとも皮肉な状況が出現しているらしい。
アメリカ合衆国を中心に、インターンシップは、就職を望む、世界中のZ世代が対峙せざるをえないブラックボックスになっているように見える。なぜブラックボックスと呼ぶのかといえば、先にも述べたように、多くの場合、雇用条件が曖昧だからだ。日本の無給インターンシップの問題がその実質のなさにあるとしたら、日本国外のインターンシップで問題になっていることの筆頭は「やりがい搾取」である。多くの志望者がいるクリエイティブな分野の事業、IT業界、マスコミ、ジャーナリズム、ファッション業界、さらには国連のような国際的な団体の多くが(日本のデータは見つからないが、アメリカ合衆国では86%無給でインターンシップを実施しているということである。この状況を、他国のメディアは厳しく追及しており、特にスイス公共放送協会国際部が運営するSWIは継続的に国連インターンシップの搾取を取り上げ、状況の改善を求め続けている。
ニューヨークベースのZ世代が運営するマガジン「BOBBLEHAUS」の記事で、Angel Martinezも、こうした人気業種のインターンシップが無給であることが、もうひとつの構造的な問題に結びつくことについて論じている(「WHY THE UNPAID INTERNSHIP HAS GOT TO GO」2020年10月14日)。それは、無給のインターンシップが、若者の経済格差を固定化してしまうという問題だ。無給のインターンシップに応募できるのは、それでも生活を支えられる富裕層の学生だけである。IT、マスコミ、出版、ファッションなどのクリエイティブな企業や多くの人が憧れる国際機関が、物価の高い都心部にあることが、この傾向に拍車をかける。つまりニューヨークやロサンジェルス、ロンドンやジュネーヴなど、家賃の高い都市に引っ越し、生活できることが、人気インターンシップへの応募資格になっているのだ。
世界のどこであっても低所得の家庭の学生は、学費を払うために、大学生活の間ずっとアルバイトに従事しなければならない。ここでMartinezが鋭く指摘していることは非常に重要な点だと思われるが、学費や生活費を稼ぐ必要のある学生は、学生であるという資格上の理由から、自分のスキルレベルに見合わない、あるいはそれ以下の仕事に長時間従事することになる。日本でも近年、アルバイトによって自らの生活や学費を支える学生が増加しているが、多くの場合、自分が薄給で、大学生としての能力に見合わない、単純な肉体労働や接客(水商売も含まれる)に従事していることに疑問さえ抱かない。長期のアルバイト生活は、長期的には学業成績、ひいては就職活動に悪影響を及ぼす可能性があるとMartinezは述べる。ジョージタウン大学のAnthony CarnevaleとNicole Smithは、週に15時間以上働いている学生の約60%が平均点「C」以下だったと報告している。その理由は単純に、課題に取り組むための時間を、生活のために最低賃金で働くことに割かざるをえないからだ。他方で、裕福な学生は、無給インターンシップによってキャリアアップの機会を自由に追求できるため、必然的に卒業時に優位に立つ。このようにして、すでに優位に立っている学生がますます報われる一方で、切実に就職を必要としている貧しい学生の競争のほうばかりが激化するという悪循環が生まれているとMartinezは述べる。
こうした状況を改善するために、ロサンジェルスのTech系の企業が、マイノリティのための制度改革を始めている。昨年、ブラック・ライヴズ・マター(BML)運動が全米を席巻し始めたとき、Tech系企業家のアダム・ミラーは、LA-Tech.orgのエグゼクティブ・ディレクターの仲間を呼び、自分たちの業界で「何か大胆なことをしたい」と話したそうだ。テック業界は、マイノリティ、特にラテン系や黒人・アフリカ系アメリカ人のコミュニティを締め出してきた歴史があるという。「WIRED(US版)」のレポートによると、いくら「多様性」の重要性を語っても結局具体的な策を打たなかった結果、2019年には、大手テック企業が「もっと有色人種を雇う」と目標を掲げたにもかかわらず、シリコンバレーのテック企業の従業員に占める黒人、ヒスパニック、先住民の割合はわずか5%だったそうだ。この状況を変えるべく、ミラーが始めたのは「1,000インターン・プロジェクト」と名付けられた新プログラムで、ロサンゼルスの恵まれない地域に住む16歳から24歳までのマイノリティの学生や若者に1,000件の有給インターンシップを提供し、ロサンゼルス郡内のハイテク企業に就職させるという計画である。ミラーは、恵まれない地域に住む多くの学生の多くが、無給の研修を受ける余裕がないことを理解しており、有給のインターンシッププログラムを作ることを重要視したそうだ。
LA-Tech.orgの改革は素晴らしいが、率直に言って、このように若者を「本当に」訓練することを目的とし、経済的格差にも配慮したインターンシップ改革は、日本においては当分実現しない可能性も高い。Martinezも述べるように、多くの組織は、抜け道を探して、コスト削減のための戦術を正当化する。たいへん残念なことに、人権と平等のために働くはずの国連まで、2021年現在もまだ無給のインターンシップ制度を維持しているのが現状なのだ。また冒頭でも触れたように、日本では、搾取としての無給インターンシップの問題以前に、そもそも「就業体験」と言えないような内容がインターンシップとして提供されているという問題さえ、十分に解決されていない。
日本では、大学に行くのも就活のための資格と言われて久しい。加えて、現在では、通常の4年次の就職活動の前に、3年次の時間までインターンシップに費やす状況になり、もはや学生生活自体が就職、しかも新卒一括採用というシステムに従属しつつある。「学生時代」に一番頑張ったのは「就職活動」という状況が、本末転倒な状態であることさえわからなくなっている学生も多いように思う。他方で、ここ数月、困窮学生への弁当の支給がニュースになっているように、コロナ禍で経済的に余裕がない学生は、確実に増加している。日本の現行のシステム下では、薄給アルバイトに追われて学業不振、インターンシップに参加する余裕もないために、就職活動が長引き、ますます困窮していく学生と、経済的に余裕があるために十分な準備をして有給の長期インターンシップに受かり、早期に内定を得る学生との格差が開いていく可能性があるだろう。渦中の学生には容易なことではないが、構造的不備に気づいた関係者たちは、現行の就職システムを維持するだけではなく、制度改革を訴えていく必要がある。
即座には変わりそうもないシステムのなかで奮闘せざるをえない学生たちに対し、Martinezは言う。
「彼ら(企業側)が正気に戻り、この(インターンシップを健全なものにするという)要求を、基本的な人間の良識への呼びかけとして受け入れるのを待つ間、私たちはインターンシップ文化の有害性を軽減するために、自分でもできることがある。(…中略…)私たちは、自分の価値を(就職活動という)コミットメントから切り離すことができるし、自分が自分であることがわからなくなるほどに自分を広げて痩せ細らせないようにすることもできる。」
自分自身の価値は、就活やインターンシップといった、システムに与えられるものではなく、つねに自分のほうにあることを忘れないでいたいものだ。不完全な要素を含んでいるために改良を重ねていくべきなのは、つねにシステムのほうなのだと、冷静に客観的に見る視点を持ち続けよう。