#youth|地方女子大生の日記から“排除しない”フェミニズムを考える
自分が「女」であることを必要以上に自覚させられたような気分になった。 働いているだけで、歩いているだけで、存在しているだけで、性的に消費される恐ろしさとずっと向き合っていかなければならないのだろうか。
#フェミサイド #セクハラ #就活
identity
2021/08/13
執筆者 |
希麗
(きら)

20歳、大学3年生。滋賀県出身の台湾好きなフェミニスト。

7月某日、就活のために髪を黒く染めた。
毎日暑くておしゃれする気すら起きなくて、シンプルな服ばかり着て出歩くようになった。
金髪だった頃はキャッチにしか声をかけられなかったのに、黒髪地味ファッションになった途端、街に出るたびにしつこくナンパされるようになった。

7月某日、バイト先の常連にセクハラされた。
彼は私にだけ聞こえる声で「××ちゃんの胸、つきたいわ」と言った。
勝気な私が恐怖のあまり声も出なくて、そのあとずっと悪寒が止まらなかった。
バイトの関係者に相談して、提案された解決策は「笑いに変えて助けを求める」だった。
絶望した。

 

7月某日、就活しながら疑問は深まるばかり。
なぜ男女は1:1で存在しているのにこんなにも女性管理職の数が少ないのか。同じように頑張り、同じ仕事をして、なぜ女性の給料がこんなにも低いのか。特権を特権とすら思っていない彼らにはどんな世界が見えているのだろうか。「大変だね、女の子は」で済まされるのだろうか。私は、平等に頑張りを評価され、いつ襲われるか怯えながら生活しなくてもいい権利が欲しい。

 

7月某日、コロナの影響でバイト先が休業になった。
正直助かったと思った。

 

8月6日、小田急線で私と同じ女子大生が男性に刃物で切りつけられた。
「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」という供述を見て、吐き気が止まらなくなった。

 

自分が「女」であることを必要以上に自覚させられたような気分になった。
働いているだけで、歩いているだけで、存在しているだけで、性的に消費される恐ろしさとずっと向き合っていかなければならないのだろうか。

 

地方都市のフェミニストを取り囲む現実

 

以上は2021年現在、地方都市に暮らす大学生である私の実体験に基づく日記だ。ほかにも「女の子なんだからデートのときはスカート履いてほしい」と言われたり、普段料理をすると言ったら「いい奥さんになれるね」と言われたり、飲み会の「何カップ?」「揉ませてよ」といったやりとりなど、日常で感じる違和感は数え切れないほどある。そのたびに叫びたいと思ったし、実際叫んだこともある。おかしいことにはおかしいと、指摘して自分の感情をぶつけてみた。しかし、どうにもならなかった。返ってきたのは「でも女の子にはスカート履いてほしいんだよね」「え? なに、結婚したくないの? 女なのに?」「いいじゃん、減るもんじゃないし、正直、胸おっきいの自分の武器だって思ってるでしょ」という言葉だった。もちろん男性全員がそのような態度をとるわけではない。ただ一部の男性によって温存されている性的な消費は、相変わらず女性を困らせており、女性側はおそらく男性が感じる以上に、些細な性的な対象化に対して、強い嫌悪感や恐怖感を抱いていることを知ってほしい。

困ったことに、身近な女性に助けを求めても、この状況は一向に解決しない。同性の友人の口からこぼれた「まあでもそんなもんじゃない? 我慢するしかないって」という諦め。真剣に思いを伝えると「めんどくさい女」と言われ、おもしろく伝えると「ネタ枠」になる。何十年も、いやもしかしたら何百年も前から蔓延り、日本の女性たちが我慢してきたツケが今、私の元に巡ってきている。対処法がわからない私は、母親や年長の女性に求める。でも彼女たちも助かる方法を知らないから、私を助けることができない。

黙認することが現状の解決には繋がらないことはよくわかっている。でも、私たちは不特定多数の目に触れる場所では、黙ってしまう。世界では活発にデジタル・アクティヴィズムの場となっているTwitterだが、私が知るかぎり日本のZ世代のアカウントはいわゆる鍵アカウントがとても多い。どこからともなく飛んでくるクソリプ回避のためにSNSに付けられる鍵。政治的な発言をしている「イタイ奴」だと思われないように、メッセージを発するInstagramのストーリーは親しい友達限定である。アメリカのTikTokのように、政治的なメッセージが発せられる場は日本では稀である。むしろストレスを発散するためにつくられたフォロワー1桁のアカウントが目立つ。自分の考えを否定されないように、周りに“変な奴”だと思われないように、攻撃されないようにという警戒心は強い。私たち若者は黙っているのではない。意図的に隠れているのだ。

しかもフェミニストはSNSで嫌われがちだ。フェミニスト内部での対立も見かける。フェミニストを自認する私でさえ、過激で一方的な自称フェミニストの発言をSNSで目にするたびに、彼らの意見には決定的に「社会の構成員」という視点が足りないように感じる。社会は女性だけで構成されているわけでもなければ、男性だけで構成されているわけでもない。さらに、シスジェンダーだけで構成されているわけでもない。

 

 

すべての人のためのフェミニズム

 

この八方塞がりな状況を変えるために必要なことは何なのだろうか。「弱者側」のみが必死に声を上げることで果たして十分なのだろうか。対極にある意見をすべて敵とみなし、耳を傾けないことだろうか。どちらも十分ではないだろう。

 

結局のところ現状では「男対女」という対立構造を中心に、対立がさらに強化されたり、対立が細分化していることに問題を感じる。8月6日の小田急線の事件の後にも、SNS上では、この事件は「フェミサイド」だという女性側の訴えに対して、即座に不遇な男性への共感や「女性」が問題なのではないという声が上がった。すると今度は、この「フェミサイド」を否定する声に対して怒りの声が上がる。私はこの事件を「フェミサイド」だとしない意見には正直驚愕したが、その事実と別に、男性も経済的負担や職場でのストレスなどを女性以上に抱え、男性であるがゆえにそれらを相談しにくい状況であることも認めている。実際に、令和2年における男性の自殺率は女性の2倍であり、男女ともにステレオタイプなジェンダー観やそれを容認(黙認)している現状の被害者であると私は思っている。

令和2年中における自殺の状況(厚生労働省自殺対策推進室)

 

フェミニズムとは、すべての人々のためにあると私は考える。理想の社会は、一部の人々だけでつくるものではない。誰かを敵とみなし、排除することは、今までの社会が女性やマイノリティに行ってきたことを繰り返しているだけであり、愚かな人類の歴史を繰り返すことにつながりかねない。誰一人理不尽な判断軸に左右されず、平等な評価の上で自分の力を最大限に発揮できる、そんな社会へと導いてくれる学問のひとつがフェミニズムだと思っている。私たちは互いの違いを生かして、より良い社会を目指していくことでしか、現状を変えることはできないだろう。

 

今ほど、相手の言うことを「聞く」ことが求められている時はないと思う。異なる意見を持つ人をすべて敵とみなすのではなく、まずは耳を傾ける。端から決め付けず、相手へのリスペクトは忘れずに、聞く姿勢を持つことが必要である。「男だから」「特権を持っている側だから」といった理由で、女性の対面している問題や現状について言及できない、あるいは、どう語ったらいいのかわからないと思っている男性は少なからずいるのではないだろうか。

 

日本では、いまだに男性は生まれながらにして特権を持っているからこそ、私は男性に対して、積極的に女性と話し合うことを切望する。わからないことは聞いてほしいし、私も聞きたい。また「私はこうだよ」って話すから、「男性側はこうだよ」って教えてほしい。そしてお互いの不満を共有して、解決策を導き出していきたい。もし「マジョリティである男性がマイノリティ差別に言及すること」に抵抗感や戸惑いを感じて「味方であること」を伝えられずにいるなら、味方であるというあなたの意思表示が私たちにとってかけがえのないものであり、変革への第一歩であると伝えたい。

identity
2021/08/13
執筆者 |
希麗
(きら)

20歳、大学3年生。滋賀県出身の台湾好きなフェミニスト。

写真 | 森岡忠哉
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