「田舎暮らし」という選択
私は2021年の春まで、大阪の中心部に程近い場所で大学生として生活をしていた。いわゆる「都会暮らし」をしていたと言って差し支えはないと思う。しかし就職活動を経て、現在はとある離島で「島暮らし」をしている。
大学を出て有名企業か役所に務める。それが幸せ?
culture
2021/08/23
執筆者|
K

多分AB型。John MayerとFrank Oceanを少々嗜む。

私は2021年の春まで、大阪の中心部に程近い場所で大学生として生活をしていた。いわゆる「都会暮らし」をしていたと言って差し支えはないと思う。しかし就職活動を経て、現在はとある離島で「島暮らし」をしている。もちろん、これは自ら望んで実現させたことだ。今回は、私がどのように考えて田舎で生活をするという決断を下したのか、半年に満たない程度ではあるが実際に生活をして感じたことを紹介がてら書いていきたい。

私は大学卒業間近まで、相当投げやりに生きてきたと思う。親からは「立派な大学を出て、名のある企業に務めるか、公務員として安定した収入を手にすることが人間の幸福だ」と言わんばかりの教育を受けて育ってきた。それ以外は否定をされてきたので、夢らしい夢はとくになく、希望は持つだけ損だと思っていた。そこで私が思春期に身につけた生き方は「無気力に、適当に」というものだった。多分そういう人は、読者のなかにも多少いるのではないかと思う。それでも心の奥底では学歴にも高収入にも安定感にも惹かれない自分がいた。そんな自分の思いに対して素直になったとき、自分にとっての幸福が何であるのかを真剣に考え始めた。行き着いた答えは結局「いい暮らしがしたい」という単純なものだった。「いい暮らしがしたい」なんてことは誰もが思うところだろうが、何をもって「いい暮らし」とするかは人によって違う。私の場合、両親の考えるそれとは合わなかった。

 

では、何が自分にとってのいい暮らしなのだろうか。この部分がある意味、就職活動の軸のようになったのだが、それは3つに分けられた。「自然が豊かできれいな場所に住むこと」「周りの人と比べて余計な事を考えなくてすむこと」「生活を丁寧にすること」である。順番に説明していきたい。

 

1つ目の「自然が豊かできれいな場所に住むこと」というのは、やはり都会での生活からの反動だった。満員電車に乗るなんてことは論外で、他人の香水の匂いがキツいのも、キャッチがいきなり話しかけてくるのも、道端のゲロを避けながら歩くのも、馬鹿みたいにうるさい街から逃避するためにイヤホンで耳を塞ぐのも、うんざりしていた。ちなみに今あげた例は、先日帰省した際には余計苦手になってしまっていたのだが。とにかく都会に肌が合わないのは明確で、一方で自然のある場所に癒しや安らぎを感じていたのだから、自分にとって良い環境がどんな場所であるのかを考えるのは難しいことではなかった。

 

2つ目の「周りの人と比べて余計な事を考えなくてすむこと」というのは自分が都会での生活において陥っていたことだ。外に出て、人が多いとどうしても他人と自分とを見比べてしまっていた。服や靴、身につけているもの、読んでいる本、聴いている音楽、観ている映画。自分が好きなものを選択すればいいというのはわかっていても、どこかで見栄や意地を張ったりして無駄な気疲れを起こしたりもしていた。そんなくだらないことにも辟易としていた。

 

そして最後は「生活を丁寧にすること」である。自分にとってはこれが一番大事だったりした。便利な世の中で効率化されてばかりの環境のなかにいたとき、生活が疎かになっているような感覚がずっとあった。社会から便利で効率的なライフスタイルが提供され、当たり前のようにそれを消費していたが、ライフスタイルを決定するのは私自身であるはずであるから、社会からそのような事をされるのに違和感があった。おそらく多くの人は、コンビニのない生活など考えられないだろう。けれど便利なだけのものなんて、なくても大して困らない。「島暮らしをしている」と言うと、「コンビニはあるの?」と聞かれることが多い。「ないよ」と答えると「大変そう」と言われる。コンビニがないと生活できないほうが大変だ。今のところ「コンビニがあったらよかったのに」と思ったことは一度もない。

 

それにスローライフ的なものへの憧れがあった。今となって振り返ってみれば、余計なことを考えずにただ生活することに重点を置いて生きたいという願望は昔からあったのかもしれない。アメリカの絵本作家・園芸家のターシャ・テューダーのように広大な庭で植物を愛でながら、慎ましく生活ができればそれが理想だと思う。畑なんかもできたらいいなと思うし、そのほかにもいろんなことをしてみたいと思っていた。

 

そういうわけで、必然的に田舎での暮らしを望んでいた。正直、職種は何でも良かった。そんな私の就職活動だから、場所選びがとても重要だった。いくつか候補はあったが、以前に友人らと訪れたことがあった島のことが真っ先に思い浮かんだ。べつになんの根拠もなかったが、島の景色や環境が自分にとってはすごくちょうどいいような気がしていた。コロナ禍の就活ではあったが、とんとん拍子で決まったように思う。それも田舎だからだろうか。

 

島には2021年の4月から住み始めている。最初は会社の寮で、男数人でシェアハウスをしながらの生活だった。やっぱり、変わった人が多い。さまざまな経歴や動機をもつ人たちが集まった場所での生活は退屈しなかった。やはり大体の人は、都会とは肌が合わないか、そうでなくても少し疲れてしまったのだろうなという感じがした。彼らは大抵、近い将来島を離れる人たちで、それもあってか皆いい意味でゆるくやってると思う。

 

島の人たちはいい人ばかりだ、外から来る人間を受け入れたくないと思う人もいるだろうが、今のところ出会った島の方々にはよくしてもらっている。人の繋がりが濃いので、都会の希薄な人間関係が好きな人にはこの環境は合わないのだろうなと思う。でも、少なくとも私にとっては居心地が良い。都会での人の近さは何となく不愉快だったが、こちらで生活していてそのような気分になったことはない。じいちゃんばあちゃんはにこやかで優しい人が多いし、やっぱり島のおっさんは酒に強い。そんなおっさん達に混じってベロベロになりながらでかい声で歌を歌うのも楽しかったりする。

島で半年近く生活してきたわけだが、仕事が忙しいのでなかなか理想の生活を手にするには至っていない。今は平家の一軒家に一人暮らしをしている。きれいなのかボロいのかよくわからない家だが、手を加える甲斐はありそうだ。生活を豊かにするためにやりたいことが山ほどある。そういうことを発信できたりすれば面白いのだろうが、仕事の忙しさでそこまで首が回らないなとも思う。

 

時期も良かったのかもしれない。コロナ禍で多くの人のライフスタイルが変わったと思う。同時に多様化したはずだ。それこそ都会から離れて地方で生活する人もいたことだろう。「それもアリなんだ」と思えるような選択は、むしろ今の方がしやすいのかもしれない。私たちがコロナ禍で失ったものはたくさんあるが、そういう時期だからこそ改めて自分の価値観を見つめ直すことも大切だ。今こそ自分の気持ちに正直になるときなのかもしれない。ただし、もし今田舎に行きたいのであれば、先に住んでいる人たちへの敬意を欠いてはいけない。医療が不十分な地域であればなおさら、状況をよく考える必要がある。

 

私は田舎暮らしを選択して良かったなと心底思う。そうでなければ出会えなかった人やものがたくさんあった。幸せに生きるために、自分はどうしたらいいか。その問いに正直になった結果だから、当然生活を楽しんでいる。なにも田舎暮らしをみんなに勧めたいわけではない。ただ今一度現状を見つめ直して、都会での生活に満足ができていないのであれば、そういう選択肢もあるのだと言いたい。

 

去年のこの時期、夜に窓を開けても車やバイクの往来する音や、遠くで鳴っている救急車のサイレンばかりが聞こえていたが、今はスズムシやカエルが鳴いている。空を見れば星がきれいに見える。そういう生活も悪くないはずだ。

 

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2021/08/23
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多分AB型。John MayerとFrank Oceanを少々嗜む。

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