1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。
Twitter @tami_yanagisawa
女友達から彼氏の話を聞かされたとしよう。「彼はヒーローなの」って彼女は言っていて、でも側(はた)から見ると、彼女は彼に振り回されている。絶対に出席したほうがよい授業にも彼女は姿を現さず、どうやら前の夜に彼の家に呼び出されて、授業の時間には、彼の服を着て寝ていたみたい。いつも彼氏の文句を言っているから、「そういう関係は止めたほうがいいよ」って言ってみるけれど、結局、彼女は驚くべき忍耐力を発揮してこの状況を継続しようとする。しかも彼女がつらくなって別れを切り出そうとすると、彼氏は突然態度を変えるから、なかなか別れられないのだそうだ。こういう恋愛、びっくりするほど紋切り型のこのタイプの恋愛は、なぜ社会に溢れているのだろう。2021年にもあるけれど、50年前にも、100年前にも変わらずあったのだと思う。一つ違う点があるとしたら、50年前や100年前の日本だったら、「男と女ってそういうものよね」と言われただろうが、2021年の女性たちは、こうした状況を「搾取」とか「虐待」と呼ぶことを知っているということだ。
悲しくも興味深いのは、フェミニズムや#MeToo運動の影響を受けた女性たちが、さまざまな概念というツールを得てもなお、「バカな恋愛」に没入してしまうことが変わらずあるということである。たとえば2008年には「Love Song」で自分と交際相手をロミオとジュリエットに喩えていたテイラー・スウィフトは、2012年には「I Knew You were Trouble」で自分を弄んだ浮気男を断罪した。そして、2019年には「The Man」でジェンダー格差を、同時に「Lover」で生涯を誓い合えるパートナーとの恋愛を歌った。
お花畑な恋愛観から、「私はバカだった」という浮気男との苦い恋愛経験を経て、また同時にハリウッドの映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインシュタインの2017年の逮捕から#MeTooといった時代の進歩に影響されつつ男女のジェンダー格差を理解し、最終的に誠実な人生の伴侶を得る、というテイラーが描いているストーリーは模範的である(そのように模範的なリベラル白人女性であることがテイラーの魅力である)。しかし、ジェンダー格差や「搾取」や「共依存」について正確な知識を持っていても、賢明とは言えない恋をする人はいるだろうし、現にいるのだと思う。Z世代のアイコンであるビリー・アイリッシュは、ニューアルバム『Happier than Ever』で、彼女自身もそんな恋をしたこと、そしてそれをどのように受け止めているかを、19歳とは思えない深い洞察と軽やかな諦観を湛えた作品へと結晶化している。
この新作に先立って、2021年5月にビリーは、ブロンドの新しいヘアスタイルを披露し、『Vogue』でコルセットをつけたセクシーなグラビアを公開して、私たちを驚かせた。ビリーと言えば、強い身体コンプレックス(dysmorphia)を患った経験から、体型がわからないオーバーサイズのTシャツとバギーパンツを着用して一世を風靡し、デジタル・ネイティブであるZ世代を、自分の容姿への執拗な関心から救ったことで知られていたからだ。『Vogue』のグラビアのクラッシックなコルセットに包まれたビリーは、誘惑的なブロンド女性を演じているだけではなく、ありのままの体型をコルセットで補正している点も、ボディ・ポジティヴの観点から批判されたようだ。この時にビリーがインタビューでさまざまな批判を予想し、語っていたのは、結局のところ全てを解決するのは「自信(confidence)」であり、それさえあれば「何でもできる」ことをこのグラビア撮影で示したのであって、美容整形をしようが、オーバーサイズのドレスを着ようがどうでもいい(F**k It)ということだった。
このように要約してしまうとビリーの発言は、少し投げやりにも聴こえる。また彼女の『Vogue』誌のグラビアは保守系のメディアで「ソーシャルメディア、ポストモダニズム、フェミニストの恐怖政治の組み合わせによってもたらされた、Z世代の性に対する深い葛藤を表している」と評価されているように、性的に魅力的な女性であることに葛藤を抱えざるを得ないZ世代の少女が、ようやく「女性」であることを受け入れたように見えなくもない。しかし、クラッシックな50年代ハリウッド女優のようなビジュアルに身を包んでいたとしても、ビリー自身はそんなに単純ではないことが『Happier than Ever』を聴けばわかる。
このアルバムは静かだが怒りに満ちている。この点はファースト・アルバムから何も変わっていない最高な点だ。そしてそれは彼女自身が言っているように、彼女自身の内省(self-reflection)の記録になっている。すでに多くの批評に書かれているように、曲のなかで歌われているのは、有名人であるがゆえのSNSでの誹謗中傷やストーカーなどへの怒りである。同時に大きなテーマになっているのが、冒頭で述べた虐待(Abuse)とも言えるような恋愛関係への怒りであり、「すべてのことは永続しない」という一貫した無情感であり、それでも誰かを愛し、大切に思う否応なくセンチメンタルな感情である。頭のおかしいストーカーに恋人以上に求められているアイロニーを歌った「Getting Older」。ロマンチックな秘密の恋を歌う「Billie Bossa Nova」。ビリー自身がセックスについて歌ったと公言しているアップテンポな「Oxytocin」。誰もが死ぬ事実への不可思議な安堵感を歌った「Everybody Dies」。男性に力を濫用しないでと語りかける「Your Power」。別れた恋人に「あなたがいなくなってみたらずっと幸福だった」と言い放つ表題作の「Happier than Ever」から最後の曲「Male Phantasy」が続き、ゆったりとしたテンポで、再び男性の視点がどこまでも自分とは異なることを認めつつ、「あなたを絶対に嫌いになることはできない」とビリーは切なく、歌う。ここでは割愛した曲も含め、すべての歌詞がなぞっていく感情はとてもリアルで人間的で、彼女のとつとつとした美しい語りにどんどん惹き込まれる。
男性の権力の濫用、搾取構造に気づいた今日、女性については抑圧を押し返す強さを描き、男性については弱さを描く、あるいは弱さを認める強さを描く方法しかないと、映画監督の濱口竜介氏が語っていた。とても的確な現状認識だと感銘を受けつつ、ここで言われる「強さ」「弱さ」については、どれほどの深さ、どの層で捉えるかで、また異なる見え方が生まれるような気もする。例えば、ビリーは社会のレベルの権力構造については、非常にシビアな認識を持っている。男女のギャランティーの不平等、映像などが男性目線で撮られていることに自覚的で、そのことに関して発言すること、自分自身がMVの監督をすることなど、状況改善のための努力を惜しまない。この社会のレベルで彼女の態度はとてもクリアである。しかし恋愛、性愛の問題になると彼女はそこまで明快ではない。『Happier than Ever』のいくつかの曲から伝わるように、ビリーは、クラッシックな、ある意味では不平等が前提となっていた時代からのロマンティック・ラヴを美しいと思っている。繰り返しになるが、この二層になった感情こそ、2021年を生きる私たちの何割かが、抱え込んでいるもののように思う。
男性の搾取が許せない感情と男性の強さに魅力を感じる感情。この二層になった心理への困惑を、自分の研究動機にしている女性の科学者がいる。先日『Testosterone: The Story of the Hormone that Dominates and Divides Us』(Cassell、2021)を公刊したキャロル・ホーフェン(ハーヴァード大学)である。彼女は、本の題名が示すように男性らしさの原因とされてきた性ホルモン、テストステロンの専門家だ。結論を先に言うならば、科学者である彼女の理論に則すならば、上述の2つの感情は、別個のものとして両立し得る。ホーフェンは、男性による搾取という社会的な事実と、男性性、つまりそのフィジカルな強さや性的な関心が女性より高いことや競争的であることも含めて、別物として捉えるべきだと結論づけているからだ。
ホーフェンのこの科学者としての主張は、特に#MeToo運動以降強まった、ジェンダーの問題をすべて社会構成主義的に捉え、男性性=暴力性だとして全面的に否定する立場への、エビデンスに基づく反論である。社会構成主義の立場に立つジェンダー平等論者は、性差を生物学的に根拠づけることは、それを是認する理由を与えることになるとして徹底して否定する。このような立場に対して、ホーフェンは生物学的に性差は厳然とあると言い、男性は女性より攻撃的であるし、だからこそ命をかけて人命救助などを行う割合が高いことを認める。と同時に、「自然であることは善であることを意味しない」と断言する。言い換えるならば、自然に備わっているということは、それを全面的に受け入れなければならないことを意味しない。自然にある傾向を、どうするのかという人間自身の判断にこそ、文化が、社会が深く関わる。例えば、男性が繁殖のために女性を所有することに強い執着があること、そのために例えばチンパンジーの雄も信じがたい暴力を振るうというエビデンスがある。この事実があることは、私たち人間が男性によるドメスティック・バイオレンスを許容すべきだということを意味しない。だが同時に、そのような傾向を実際男性が進化の過程で持っていることを知ることは、こうした傾向を増大させないために大事だというのがホーフェンの主張である。
「私が知っているほとんどの男性は、ワインシュタインやブロック・ターナーではない。ワインシュタインは異常者だが、自然界の異常者ではない。彼は、権力、権利意識、性格、性欲、機会の組み合わせによって、完璧な捕食の嵐を生み出した男だ。テストステロンは高いリビドーと仲間の獲得を促進する傾向があり、男の力、文化の失敗、あるいは被害者の無力感がそのトリックを可能にするならば、それは一部の人たちが取る道であろう。しかし、道を塞ぐこともできる。#MeTooは、真の意味で前進した運動であり、今後もそれが続くことを私は願っている。本書でも強調しているが、男性の行動に変化をもたらすためには、テストステロン〔=男性ホルモン〕を抑制する必要はない。態度や文化の変化がそれを可能にするのです。スティーブン・ピンカーの著書『Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress』〔Viking、2018/邦訳=『21世紀の啓蒙──理性、科学、ヒューマニズム、進歩』橘明美+坂田雪子訳、草思社、2019〕によると、アメリカでは「妻や恋人に対するレイプや暴力の発生率は数十年前から低下しており、現在は過去のピーク時の4分の1以下になっている」とのことだ。これは男性のテストテトロン値の低下では説明がつかない。私たちが知る限り、男性のセックスに対する欲求の高まりは変わっていないにもかかわらず、(一部の場所では)変わったのは、一部の権力者の権利意識だ」。
──『TheStory of Testosterone』244頁
ホーフェンは、テストテトロンに基づくいわゆる男性の男性らしさを過剰に許容する文化にも反対だが、同時に抑圧すべきではないと言う。彼女は、男性ホルモンに由来する男性の男性としての美しさは認められるべきだと主張する。このように主張したことで、多くの男性研究者や論客に歓迎された彼女は、しかし、けっして男性におもねる伝統主義者・保守派ではない。彼女自身、過去に経験したレイプに苦しみ続け、また現在は男の子を育てている母親であり、自分自身が多層的に抱き込んでしまった心理を理解しようと科学から現実を理解する方便を探し続けてきた一人の女性である。
ビリーはと言えば、何度考えても驚くべきことだが若干19歳で、音楽を通じて、自分の感情の一つひとつを見つめ、今を生きる女性の多くが抱えざるをえない、つまりホルモンに突き動かされる感情と社会的に構成されるべき感情による、けっして矛盾とは言い切れない多層性を描き出している。「あなたに悪いことをしたい(I Wanna Do Bad Things to You)」と言ってベッドの上で跳ねているような「Oxytocin」のビリーも、「あなたのパワーを濫用しないで、あなたはパワーを失いたくないかもしれないけど、パワーを持っているっていうのも変だよね(Try Not to Abuse Your Power I Know We Didn't Choose to Change You Might Not Wanna Lose Your Power but Havin' It's so Strange)」と教え諭すビリーも、どちらもとても素敵で、テイラーのように優等生ではないからこそ、この見通しが悪い過渡期の時代を、レプレゼントしているように見える。
どこまでが自然で、どこまでが社会なのか。自然のどの部分が、社会や文化によって過剰に強化されてしまっているのか。よくよく検討しなければいけないことは本当にたくさん存在する。けれど、ジェンダーの平等を望む私たちが、毛むくじゃらの悪い男にふらっとしたとしても、その感情は「善い」ものではないけれど「自然」なものである限りのある「美しさ」があるのかもしれないねと「Male Phantasy」を聴くたびに思うことは、けっして後退ではないはずだ。
2021年9月3日には彼女とディズニーのコラボ映像「Happier Than Ever: A Love Letter to Los Angels」も公開される。
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2021年9月11日追記
キャロル・ホーフェン(Carol Hooven)をめぐる議論について
この論考で参照しているキャロル・ホーフェンについて、補足させていただこうと思う。
まずこの記事で取り上げたホーフェンの著作『Testosterone』のなかにも書かれているように、生物学的性(biological sex)を認めるか否かについては、すでに長期に渡る激しい論争がある。彼女は科学者であり、性淘汰を進化の原理とするダーウィンの進化論に依拠する立場から、精子を作るものは雄、卵子を作るものは雌という生物学的性差は実在すると主張している。これは学問上の定義の問題である。ホーフェン自身は、この生物学の定義はイデオロギーと関係がないと考えているのだが、他方で、こうしたことを「主張する」ことが避け難くイデオロギーを帯びたものとして受け取られ、利用される。これも事実として存在している。まさに自然と社会という2層のレイヤーの問題である。
7月28日にホーフェンは、あからさまに右派の立場を代弁するTVチャンネルFOX NEWSに出演し、改めて生物学的性が男性と女性であることを強調したうえで、以下のように発言した。「生物学的なことは、その人が自分のことをどう思っているか、自分の性別をどう感じているかということほど重要ではない、という内容のイデオロギーがあるようです。しかし、生物学上の事実を理解していても、私たちは人々に敬意を持って接し、彼らのジェンダー・アイデンティティを尊重し、彼らが好む代名詞を使用することができます。人に敬意を持って接することができないわけではありません(The ideology seems to be that biology really isn’t as important a show somebody feels about themselves or feels their sex to be, But we can treat people with respect and respect their gender identities and use their preferred pronouns, so understanding the facts about biology doesn’t prevent us from treating people with respect.)〔筆者訳〕」。これに対し、ホーフェンと同じHarvard Department of Human Evolutionary Biologyの博士課程のL. S. Lewisが、ホーフェンの発言はインクルージョンやダイバーシティを後退させる発言だとtweetし、Lewisの意見を支持する学生たちの意見書まで登場し、論争になった。そしてこの一連の論争をまとめた記事が8月11日に出たが、その後この騒動はいわゆる「炎上」のような意味では収束している。
私自身は進化生物学に関する知識をホーフェンと同じレベルで持っていない以上、ホーフェンの性についての定義を正しい、間違っていると断定することは残念ながらできない。論考にも書いたつもりだが、私自身はホーフェンを、ビリー・アイリッシュが作品のなかで繊細に表現している、自然の層と社会の層とのしばしば矛盾に見える相剋に、科学者として取り組んでいる女性だと理解している。彼女は自然のレイヤーで生物学的性差はあると考え、自分自身は子どもを生み、男の子を育てている。他方で、社会のレイヤーで、彼女はLGBTQ+にいかなる差別意識もないと主張するが、FOX NEWSに出演し、結果、多くの保守論客にその言説は利用され、SNS上にはTERF(Trans-Exclusionary Radical Feminist[原理主義的なラディカル・フェミニスト])として彼女を批判するコメントも登場した。TERFとは、「女性」を厳密に限定することにより、トランスジェンダーの人たちを排除しようとする一部のフェミニズムの原理主義的な動きである。私自身は彼女の著作の誠実さを考えると、彼女がTERFだと断言することは正直できないし、アカデミックな視点から、彼女の著作は読むに値する内容だと考えている。しかし、ホーフェンが、いかなる理由があろうと、あからさまに一部のリベラルの神経を逆撫するFOX NEWSに出演したこと、番組中の発言のなかで、生物学的性とジェンダー・アイデンティティを比較し、前者のほうが重要であるかのように聞こえる発言をしたことには問題があったと思う。
よく知られているように、現在アメリカ合衆国では、テキサス州の妊娠中絶法に顕著であるように、性に関する文化戦争の緊張感が高まっている。最も新しいところでは、TERFを批判したジュディス・バトラーの『Guardian』での発言が同紙において削除されるという事態も生じている。このように社会レベルの言説が激しく展開している状況において、メディアを運営する私としては、レッテルを貼る前にまず相手の考えを丁寧に知り、議論したいと考えている。私自身もelaboの仲間も、あらゆる差別や弱い立場への暴力に反対である。同時に、変化する現実のなかで、なかなか割り切れない事象こそが大事であり、また人は学習し変化しうると考えているので、今後もこうしたデリケートな問題を扱っていくことになると思うが、ともに考えていただけたら幸いである。
今回この補足を書くためのきっかけと情報をくださった竹田ダニエルさん、竹田さんのtweetを引用RTしてホーフェンの問題を指摘した方々、友人のKaren Ashに感謝します。
1973年ニューヨーク生まれ。専門は哲学・キリスト教思想。関西学院大学神学部准教授。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジション──哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』(現代企画室、2008)、2017年にThe New School for Social Researchの心理学研究室に留学し、以降Moral Foundation Theoryに基づく質問紙調査を日米で行いながら、宗教などの文化的背景とマインドセットとの関係について、道徳的判断やリスク志向に注目し研究している。
Twitter @tami_yanagisawa