大学2年生。趣味はスポーツ観戦とHIP HOPを聴くこと。最近は大谷翔平と佐藤輝明に興奮している。
まず、「親ガチャ」とは何なのか。Weblio辞書から引用する。
「子どもの立場から『親は自分では選べない』『どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ』と述べる表現。ソーシャルゲームにありがちなキャラクター入手方法(いわゆるガチャ)になぞらえた言い方」。
とある。かねてからTwitterなどのSNSで使用されていた言い回しだが、マスメディアが取り上げたことにより、著名人が持論を展開するようになり、ここ数週間で「親ガチャ」について議論する機会が増えた。
この問題がメディアで取り上げられ始めたことをまずは嬉しく思う。議論の場が設けられることで、生まれながらに持っている格差について考える人が増えるだろう。筆者個人の話となるが、現在奨学金を借りながら大学に通っている。およそ400万円を借りているが、もし借りていなかったとすると、社会人で奨学金返済の心配をする必要がなくなっていただろう。あまり勉強をしてこなかった私が悪いのかもしれないが、周りで奨学金を借りていない人を見ると、やるせない気持ちになる。
また、現在両親は離婚の危機にある。この状況の原因は父親だ。彼は自ら離婚したいと切り出してきた。普段から酒を飲むと豹変し、壁に穴をあけ、暴言を吐く。また、私に対し、漫画村の利用を進めてくるなど、モラルにも欠けた、所謂「毒親」である。それゆえ、私は「親ガチャ」を叫ぶ人たちの気持ちがとてもわかるし、与えられた生育環境の格差のみならず、日本独特の親子の関係など、これらは社会全体で考えていかなくてはならない問題であると思う。
数学や芸術など、一部の才能は遺伝で90%決まるというデータがある。また、母親の学歴が読書習慣や最終学歴に影響を及ぼすのではないかと考察している論文(PDF)もある。アメリカでも、大学による格差問題が存在する。生まれや環境が生きていくうえで多大な影響を及ぼすことはもはや共通認識であり、これを否定するほうが難しいように思う。しかし、だからといって、努力をやめ、幸せにはなれないと自らを卑下するようなことはしてはいけないと思う。
そもそも、世の中、生存の条件は偶然であるがゆえに不平等なものなのだ。私たちが日本に生まれて平和を享受し、教育を受けている一方で、紛争に巻き込まれる子や、学校に行かず働いている子もいる。「親ガチャ」問題は、国内の相対的な問題であることは私も理解している。自らの環境が国内で恵まれていなかったとしても、まだ私たちは他国と比べて恵まれた立場に置かれている点が多いということを理解しなくてはならない。
格差問題は自分自身だけで何とかなるような問題ではないし、簡単に是正できるならそもそも話題にもならないことは理解しているつもりだ。かといって、何もせずそのままを受け入れて人生を終えてしまうのもそれはそれであっけない。どうせ生きるなら楽しく生きたほうがいいに決まっている。幸せに生きるために僕は他者と比べることをやめた。人はそれぞれどこか足りていない部分はあり、比べ始めるときりがない。大切なのは、自分の良いところを見つけ、それをどう伸ばしていくかということではないだろうか。
すごく綺麗ごとであり、自分でも書いていて気分が悪い。だが、自己肯定感を上げないことには何も始まらない。人生は長く、私たちは何十年も生きていかなくてはならない。「親ガチャ」に苦しめられているのは10代、20代の人間が多いのではないだろうかと推測する。現状を打破し、人生を180度変えることは勇気のいる行動だ。実家が裕福でない人間は、なおさらそうだろう。それでも人生は一度きりだ。味気ないまま終わるのもつまらない。死ぬ間際に生きていて良かったと心から思えるような人生を過ごすため、一日を全力で生きていこうと思う。
大学2年生。趣味はスポーツ観戦とHIP HOPを聴くこと。最近は大谷翔平と佐藤輝明に興奮している。