他者と生きていくということ:コロナ禍で失われていく人と関わる力
人と人が関わっていく上で、相手を思いやることは必要不可欠な要素である。「何をそんな当たり前のことを言っているんだ?」と思う方もいるだろう。その通りだ。僕はこの“当たり前”のことに最近、ようやく気が付いた。
#嫌われる勇気 #対人能力
identity
2022/02/27
執筆者 |
io
(いお)

大学2年生。趣味はスポーツ観戦とHIP HOPを聴くこと。最近は大谷翔平と佐藤輝明に興奮している。

■コロナ禍で対人能力が落ちていく

人と人が関わっていく上で、相手を思いやることは必要不可欠な要素である。「何をそんな当たり前のことを言っているんだ?」と思う方もいるだろう。その通りだ。僕はこの“当たり前”のことに最近、ようやく気が付いた。もともと、理解していたつもりでいたが、実体験と読書を通じ、当たり前のことをより深く理解することが出来たと感じている。今回はその経験を通じて、自分がどのような変化をしていったかを記していこうと思う。

この二年間、コロナ禍ということもあって、あまり人と遊んだりすることがなかった。また、対面授業も少なく、バイトだけが社交場として機能していた。その結果、コミュニケーション能力や他者に気を使い、予定を組み立てる能力などが、高校卒業時と比べ失われた。一年前ぐらいから、「あ、社会不適合者に近づいているな…」と薄々感じてはいた。だが、プライベートでは一人で過ごすことが多く、あまり外にも出ないため、苦労した場面に遭遇することがなかった。また、バイトでもコミュニケーションが破綻することもなかったため、「あ、俺はこのスタンスでも上手く生きていけそうだな」と思っていた。だが、その思い込みが間違いであったことに気が付いたのは、つい先日のことであった。

 

■受動的な自分に怒ってくれた友人

友人と、休日どう過ごすかを話し合っていた時のことだ。最初の大まかな予定を決めるときは、自分の意見を提言することが出来ていた。しかし、次第に相手に任せっきりになってしまい、最終的に相手の怒りを買ってしまった。

普段、一人で出かけることが多く、尚且つそこまで綿密な予定を立てる習慣が根付いていない僕にとっては、友人との休日の計画は少しハードルが高かったのかもしれない。しかし、普段から人に対して思いやりを持ち、相手の立場に立ってみて、何をされたら嬉しいか、喜ぶかという考えをもって、実践することが出来ていれば、相手の怒りを買うことはなかっただろう。

 

■「人に与えること」の大切さを訴えるベストセラー

 

最近、『嫌われる勇気:自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社、2013年)という本を読んだ。その中で、他者からの目を気にし、自分のことばかり気にしている自己中心的な人は、王子・王女的思考で、このような人達にとって他者とは、「私のために何かをしてくれる人」でしかないと書かれている。しかし、あくまで一個人は共同体の一部であり、中心ではない。共同体にコミットしていくためには、「何かをもらうことを考えるのではなく、何を与えることが出来るかを考えることが必要」と記されていた。ここでは共同体の話であり、個人間に比べ規模が大きい話ではあるが、共に人間同士の関りが共通点として存在し、本質的には同じ話であると感じた。

同じような表現として、『鬼滅の刃』17巻(吾峠呼世晴、集英社)で愈史郎が獪岳に対して言った、「人に与えないものはいずれ人から何ももらえなくなる」というシーンでも表現されている。自己啓発本の『嫌われる勇気』と少年漫画の『鬼滅の刃』、言うまでもなくジャンルは全く違うが、共に日本で多く読まれているベストセラーである。これらのメッセージを発する本が売れるということ自体、他者に与えることが生きていく上で大切だということを、多くの日本人が痛感しているということではないだろうか。現実では、相手に何かしてもらうことにばかり関心を持つ人が増加している。そして、その傾向は、自分もまたそうであったように、人と物理的に共にいることが激減しているコロナ禍でますます強まっているように感じられる。

『嫌われる勇気』の中には、「人生のタスク(仕事、交友、愛)」という概念が登場する。共同体にコミットしていく中で、対人関係は不可欠だ。もしかすると、今までの僕は、このタスクを克服しようとせず、無意識のうちに逃げていたのかもしれない。バイト先で、コミュニケーションが破綻していないから「このままでも大丈夫」という考えは、実はただ逃げていただけではないのか。もしかしたら自分のコミュニケーション能力不足をうまく相手にカバーしてもらっていただけなのかもしれない。そう考え始めた途端、なんだか凄く申し訳なくなったのと同時に、自分の弱点が見つかり、より成長できるチャンスだという考えも同時に湧いた。

 

■「相手の立場に立つ」というあまりにも当たり前で困難なこと

 

人に何かを与える。これは実際には非常に難しいことだ。自分が思う優しさ、サービスを自己満足で押し付けるのではなく、相手の立場になって、何を求めているかをイメージしながら立ち振る舞う必要があるからだ。自分本位の優しさは真の優しさとは言えないように思う。それは相手が求めていることを真に理解しておらず、自己満足な振る舞いにほかならない。自分にとっては優しさでも、相手にとっては大きなお世話と捉えられるかもしれない。だからこそ、相手の立場に立つことが大切なのだ。

人生100年時代と言われているが、若いうちに気付き、行動を起こさないと、取り返しのつかない状態になることもあるだろう。今回、他者に与えること、文字通りの思いやりの大切さについて気付けたことは自分の財産になったと思う。そして、自分を怒ってくれた友人にも深く感謝をしている。人生において大切なことを明示してくれた。このような人が自分の近くにいるということに感謝し、自らの変化や行動を通じて、恩返しをしていくことが、今必要な行動ではないかと思う。

identity
2022/02/27
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(いお)

大学2年生。趣味はスポーツ観戦とHIP HOPを聴くこと。最近は大谷翔平と佐藤輝明に興奮している。

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