無関心ではいられないウクライナ侵略戦争―私たちにできることは何か
2022年2月24日、全世界を揺るがすと同時に、今後間違いなく歴史に刻まれる出来事が起きた。「ロシア史上最大の暴君」といわれるイヴァン雷帝や、大粛清で悪名高いスターリンの影がちらつく独裁者ウラジミール・プーチンの命令により、一方的にウクライナを侵略する戦争が始まった。
#ウクライナ #ロシア
politics
2022/03/05
執筆者 |
かぎろひ
(かぎろひ)

国防に並々ならぬ関心がある。好きな格言は「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」

若者にとってさえ他人事にはできない今回の侵略戦争

2022年2月24日、全世界を揺るがすと同時に、今後間違いなく歴史に刻まれる出来事が起きた。「ロシア史上最大の暴君」といわれるイヴァン雷帝や、大粛清で悪名高いスターリンの影がちらつく独裁者ウラジミール・プーチンの命令により、一方的にウクライナを侵略する戦争が始まった。

ウクライナ側、ロシア側共に自軍の損害や犠牲者数については、双方の報告に食い違いがあり正確な犠牲者数は判明していない。しかしながら、ある報道ではウクライナの民間人の死者は子供も含めて2000人を超え、侵攻を行ったロシア軍についても多数の死者が出ているという。また、ロシア軍はハルキウやキーウの民間施設への無差別爆撃を行ったほか、ザポリージャ原発へ砲撃を行うなど、なりふり構わず残虐行為を行っている。プーチンは「ウクライナでロシア人へのジェノサイドがあった」と主張するが、自らが「民間人への攻撃」という、ほとんどジェノサイドといってもよい愚行を軍に指示している。ウクライナを巡る状況は単なる「侵攻」ではなく、「侵略戦争」であり「国際秩序への重大な挑戦」だ。

私も含めて日本のZ世代は、「戦争」や「軍事衝突」と聞いても遠い地域の問題であり、普段から考えることなど殆どないだろう。安全保障や軍事に関心を持つ以前は、私もそうであったからだ。当然のことながら、第二次世界大戦や冷戦時代には影も形もなかった我々は、あくまで「歴史」としてこれらの出来事について学ぶのみである。そして、世界の何処かで現在進行形で紛争が起こっていたとしても、「遠い地域の出来事」程度の認識しかしないことが多いだろう。例えば、2020年のナゴルノ・カラバフ紛争や昨年のガザ紛争は、日本では殆ど話題に上がらなかったと記憶している。

しかし、今回のウクライナ侵略はこれらの紛争に比べて、明らかに日本人の関心の度合いが違うように思う。2月26日には渋谷で2000人が集結して反戦デモを行ったほか、被爆地である広島や長崎でも同様のデモが行われたどうやら、今日も渋谷を筆頭に様々な場所でデモが行われているようだ。

 

なぜ、多くの日本人が注目したのだろうか。もちろん、大国と比較的規模が大きい国家の戦争であり、世界経済への影響が大きいということがあるだろう。また、日本でもウクライナの危機的状況が頻繁に報道されてきたこともあるだろう。何より日本もまたロシアの隣国であり、北方領土問題を抱えていることから、他国からの侵略という事態が他人事ではないことに気づいた人も多いのではないか。その実感に信憑性があるか否かは別にしても、実は常に世界中で起きている侵略や紛争、難民の発生をリアルな現実として日本の若者たちも受け止めるようになっている。

ウクライナの歴史と今回の侵略戦争

日本でもにわかに関心が高まりつつあるとはいえ、遠い国で起こっているウクライナ侵略戦争という事態をどう捉えるべきなのか。まずは、ウクライナの歴史を簡単に整理してから考えていきたい。

古代のウクライナは様々な遊牧民が入り乱れる地域であったが、9世紀から13世紀にかけて初の統一国家であるキエフ公国がこの地を支配する。そして、最盛期にあたる10世紀末にウォロディミル1世(ウラディミル1世)が東方正教会に改宗し、ビザンツ帝国の文化を受け入れた。この時に形成された文化がスラヴ系諸民族に大きな影響を与えたため、キエフ公国こそがルーシつまりロシアの源流であるといわれる。その後、キエフ公国は衰退してモンゴル帝国のバトゥに攻撃を受け滅亡したのち、キプチャク=ハン国の支配下に入った。以降、ウクライナの地はリトアニア=ポーランド王国やロシア帝国など、周辺の強国により支配される日々が続いた。

ロシア革命によりソ連が成立すると、ウクライナはソ連邦傘下の構成国として形式上ではあるが独立する。しかし、その後の歴史は悲劇的なものであった。スターリンによる飢餓輸出政策を原因とした「ホロドモール」により700万人から1000万人にのぼるウクライナ人が餓死したほか、ウクライナ文化の復興を掲げる知識人や政治家に対する大粛清も行われた。また、ナチス・ドイツの侵攻により国土が蹂躙されただけでなく、住民に対してホロコーストが行われ、800万人から1500万人が死亡している。さらに、1986年にはチェルノブイリ原発事故により国土が汚染される被害を受けた。このように、ソ連時代はウクライナにとって悲劇と苦難の続いた時代であったといえる。

1991年、ついにソ連が崩壊した。これによりウクライナは独立を達成し、主権国家としてかつての宗主国であるロシアと対等な地位を手にすることができた。しかし、政界のオリガルヒとの癒着による相次ぐ汚職や、ロシアにもEU圏にも国境を接するという地理的特性もあり内政は不安定な状態が続いた。2004年の大統領選ではユシチェンコを支持する親欧米派とヤヌコヴィッチを支持する親露派が激しく対立。ヤヌコヴィッチ側の不正が疑われると再度選挙が実施され、結果としてユシチェンコ政権が成立するオレンジ革命が起こっている。このように、ウクライナの国民の意識はEUとの関係を深めるか、あるいはエネルギーで依存しているロシアとの関係を重視するかの間で常に揺れ動き続けてきたといえる。

内政の混乱が続く一方で、ロシアとの関係は比較的落ち着いていた。しかし、2014年より関係は急激に悪化する。2013年にヤヌコヴィッチ政権がEUとの貿易協定調印を見送ったことに民衆が激しく反発し、ユーロ・マイダン革命が起きる。結果としてヤヌコヴィッチは失脚し、親欧米派であり対露強硬派のポロシェンコ政権が成立した。親露派政権の崩壊を受け、プーチンはロシア系住民の保護を口実にクリミア半島へ侵攻し違法にロシア領へ併合。同時期に東部のドネツィク州とルハンシク州では、ロシア軍の支援のもと親露派武装勢力が騒擾を引き起こし、それぞれ「ドネツク人民共和国」および「ルガンスク人民共和国」を自称して独立を宣言。翌月にはウクライナ軍と武装勢力の本格的な戦闘が開始され、ドンバス戦争が勃発した。その後、停戦と東部2州問題の解決に向けたミンスク合意が行われるものの、双方の停戦違反が相次いだために形骸化して今日に至る。

プーチンが抱くとされる「キーウはロシア人の故郷であり、ロシアの一部である」というイデオロギーは、ウクライナの中世の歴史を踏まえたものといえる。他方で、ソ連時代の強権的な支配を思い起こすならば、ウクライナ人が自由のある欧米側に接近するのも頷ける。実際に、現時点でウクライナが抵抗を止めて訪れるのは平和ではなく、ソ連時代への逆戻りだろう。ロシアでは数千人にのぼる反戦デモの参加者が逮捕されたほか、反戦を訴えた幼い子供たちまでが逮捕されている。これが、かの独裁者が支配するロシア社会の現実である。ロシアの傀儡となることが意味するものは、戦争はないが独裁者のもとで徹底的に抑圧された社会、つまり「奴隷の平和」を受け入れることだ。それゆえ、ウクライナ人はロシアに対して徹底抗戦を続けるだろう。

このようなことにならないために、私たち日本人はどうしたら良いのか

多くの人がある意味では珍しいほどに関心を持っていることからもわかるように、我々日本人にとってもウクライナ侵略戦争は他人事ではない。ウクライナ、そして実はロシアで起こっていることもまた、今の日本も含めた民主主義国でも充分に起こりうることであるからだ。

今回の事態においてウクライナを支援することが様々な仕方で必要なのは間違いないが、同時に、このような悲劇が今後これ以上起きないために何ができるのか考えることも大事ではないだろか。私は、以下の2つのポイントから考えることを提案する。第一に、外交と安全保障という観点から、平和実現のための抑止力について考えたい。

ゼレンスキーは侵略が始まる直前の24日未明に、ロシア国民に対して平和を求めるとともに敵対する意志がないことを示す演説をロシア語で行った。実際に、この演説に込められた平和を願うメッセージは世界中に拡散され、日本も含めた世界各地の都市で反戦デモが行われた。さらに、メッセージの相手であるロシアにおいても、勇敢な市民たちによりサンクトペテルブルクやモスクワで大規模な反戦デモが行われた。この演説は勇敢なロシアの民衆を動かし、世論の力で独裁者を追い込むことにある程度の成功をみたといえる。しかし、ゼレンスキーのメッセージはかの独裁者本人や腐敗した取り巻きたちに、終ぞ届くことはなかった。同日にウクライナへの侵略が命令され、全面戦争が始まったからだ。

このことが意味するのは、一人の独裁者の意思ですべてが決まる独裁国が相手の場合、平和を訴えるだけでは戦争は防ぐことができないということである。独裁国では為政者の意思に反するものは容赦なく粛清されるのが常であり、外国からの非難や制裁に対しては武力を用いて威嚇をすることが多い。平和を呼びかける相手が独裁国の場合には、民衆や世界に呼びかけるだけでは不十分といえる。

安全保障や国際政治を考えるうえでは、常に最悪の事態を想定せねばならないといわれる。今回は想定されていた中でも最悪のシナリオである「全面戦争」に至ったうえ、戦略核を用いた威嚇まで行われる始末だ。「力による現状変更」を行う国が近接している以上、わが国に対しても、国土への攻撃や島嶼部への侵攻などといった事態が起こらない保障はない。国防に関心が高い私としては、憲法改正や敵基地攻撃能力の獲得も含め、防衛力をさらに高める必要を訴えたくなる。少なくとも今回のウクライナ侵略戦争は現状の日本の安全保障の在り方に疑問を投げかけ、議論をするきっかけとなり得る出来事になるべきだろう。

私たちは責任をもって自国の政治家を監視しなければならない

次に、国民の政治的選択という観点から考えたい。好き嫌いはさておき、間違いなく日本のインフルエンサーの中でも特に影響力の大きい、ひろゆき氏のこちらのツイートをご覧いただきたい。

国民の選択は常に責任を伴うという指摘に私は賛同する。民主主義国では、選挙を通して間接的にではあるものの政治を国民が動かすと同時に、選出された政治家は事実上国民の代表者となる。ロシアでは、独裁国の不正な選挙という結果ではあるものの、選出された指導者が独裁者となり「侵略戦争」という愚行に出たことで、多くの若いロシア兵に無駄死を強いただけでなく、ロシアに関連する人物や文化のイメージは大きく損われてしまった。勿論、指導者として選んだ責任があるとしても、ロシアの人々を差別してよい理由にはならない。しかし、この「国民の選択」を、民主主義国に暮らす私たちが重く受け止めなければならないのは事実だ。

選挙権は18歳以上の国民全員に等しく与えられた権利であると同時に、政治的選択という相応の重みを持つ。いい加減な選択や投票をしないという選択をした結果、自分たちが政治の負の影響を受けて後悔してからでは遅い。独裁者ほどの権力の濫用と政治の暴走が起こる可能性は低いとしても、ポピュリズムによる社会の混乱や分断は後の時代に禍根を残すだけでなく、投票した、あるいは落選させなかった我々にも責任がのしかかる。だからこそ、私たちは選挙権という自分に与えられた権利がどのような意味をもち、後世にどのような影響を与えうるのか、しっかりと考えたうえで権利を行使せねばならない。そして、社会を混乱に陥れるような人物が権力を握ることを防がねばならない。

いま我々に出来ることは、どんなに小さなことであれ自由のために戦うウクライナの人々を支援すると同時に、声を上げ始めた勇敢なロシア市民たちに連帯すること。わが国の平和と安全を守るための、抑止力についての議論を厭わないこと。そして、何よりも「トレイター」や異常な主張をする人間が権力を握らぬよう、わが国の政治の動きを常に監視し続けることだと特に同世代の若者に伝えたい。

Слава Україні! (ウクライナに栄光あれ!)

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2022/03/05
執筆者 |
かぎろひ
(かぎろひ)

国防に並々ならぬ関心がある。好きな格言は「汝平和を欲さば、戦への備えをせよ」

写真 | Katie Godowski(Pexels)
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