2022年3月10、12、13日の三日間、BTSのライブが2年半ぶりに韓国の蚕室総合運動場オリンピック競技場で開催された。韓国でBTSのファンが大規模に集まるのは、2019年10月に行われたコンサート以来だ。BTSは昨年11月にロサンゼルスでライブを行ったが、コロナ禍の大半はライブストリーミングを行ってきた。2020年には、ライブストリーミングされた音楽コンサートとしては最多視聴者数を集めるギネス世界記録を樹立し、今回のライブでも10日と13日はオンライン・ストリーミングがあり、12日は世界75カ国・地域の映画館3711か所の映画館を使ったライブビューイングが実施された。Variety誌によると、このライブビューイングによる興行収入は3260万米ドル(約38億3200万円)を記録したとのことだ。
10日のコンサートは、パンデミック開始以来、韓国政府が承認した最大規模のもので、韓国内の患者数が前例のない高さに達しているオミクロン波の中で行われた。10日、韓国保健当局は327,549人の新規感染者を報告している。ウイルスとの共存を学ばなければならないと考え始めている韓国政府は、いくつかの制限を緩めつつあるそうだが、コンサートは厳戒態勢のなかで行われた。約7万人を収容できるスタジアムの入場者数は、1万5千人に制限され、オーディエンスはコンサート中に応援したり、叫んだり、一緒に歌ったりすることは禁止され、水を飲む以外はマスクをしたままでなければならなかった。
筆者は日本からのオンライン参加だったが、パフォーマンスはいつものように圧倒的な輝きを放っていた。コンサートの構成は基本的にはLA公演と同様だったが、1日目、2日目には「Home」で自分たちが故郷に帰ってきた思いを表現し、3日目には、この困難な時代にあまりにも相応しい「Spring day」と「We are Bulletproof : the Eternal」を演奏してくれた。「また朝は来る」「僕たちは共に銃弾を防ぐんだ(僕たちは共に防弾だ)」という歌声は、終わりのないコロナ禍とウクライナ侵攻のニュースに疲弊した私たちの心に染み渡り、おそらくBTSのファンでなくとも涙なくしては受け止められないものだったと思う。またLA公演では演奏されなかった「Outro: Wings」は、声を出せない観客たちの魂を解き放つ開放感に満ちていた。
同時にとても印象的だったのは、彼らが繰り返し、コンサートの状況全体に対する違和感を表明していたことである。(筆者は韓国語ができないので、恐縮ながら以下のメンバーのコメントは全て、当日ついていた字幕および英訳から理解したものである。)初日にステージ上で「自分の全力を注ぐ」と語ったジョン・グクは、冒頭の「On」と「Fire」を演奏し終わった瞬間、歓声がないことにたじろいでいるように見えたし、ステージの後には以下のメッセージ動画をインスタグラムにアップし、その複雑な心境を語った。
ファンであるアーミーたちに、グクは「楽しかったですか?」と繰り返し尋ね、自分たちは幸せだったけれど、客席にいるアーミーたちが楽しかったか不安だと語った。そして、歓声のないコンサートは、想定していたけれど想像とも全く違って、とても難しかったと素直な心境を吐露した。最終日3日目のMCでは、歓声がないコンサートへの違和感について、ジミンがさらに率直に語った。初日の公演の後に、メンバー同士で「このような公演は嫌だ」と話し合ったことも明かされた。もちろんこのようなことが語られる場も何一つ刺々しい雰囲気ではなく、J-Hopeやグクが明言したように「とりあえずこうやって対面で会えたことが大事」「オンラインだけよりずっとまし」だと納得しようとする優しさに満ちていたが、彼らが違和感をなんとか言葉にしようとする態度自体がとても繊細で誠実で、むしろとてもBTSらしかったと思う。2020年にはまたすぐにライブができるようになるという楽観があったけれど、そこから2年も経ってしまったというSugaのコメントも非常に率直かつリアルで、筆者は深く共感せずにはいられなかった。そして何よりも最終日の最後のMC中にリーダーのRMがした2回のあくびが、このコンサートに際して彼らの前に立ちはだかった現実の大きさと彼らの苦悩を物語っていたと思う。Vたちに突っ込まれることで、彼らが配信するVliveのような微笑ましいエピソードになったリーダーのあくびだが、RMが連日眠れないほどに、このコンサートを完遂することに賭けられたものは重かったことを予想させる。
RMが対峙していたのは、コロナ禍で韓国政府が許した最大規模のコンサートをやることの重みとそれと引き換えに歓声やダンスなどの人間的なコミュニケーションを奪われることへの不安や苦悩だったのではないだろうか。それは言い換えるならば、BTSと私たちが共に背負っている東アジア性に由来するものだと言っていいと思う。これは、初日にSugaが語った「皆さん本当に秩序だっている(礼儀正しい)」というコメントも想起させる。RMは同じことを「僕たちが批判されないために」とフォローしたが、要するに私たち東アジアの人間は、政府によって個人の活動を抑圧されることでコロナ感染拡大を管理されてきたが、それに対して、欧米人のように派手に文句を言うでもなく、勝手にマスクを外すでもなく、マスクをして黙って着席してプラカードを振ることができる、そのような文化風土を担っている。もはやこの状況が3年目に突入して痛感されるのは、この礼儀正しさはそれはそれで良いことなのかもしれないが、確実に人間らしさを奪っていくという事実だろう。どちらが良い悪いとは言えないが、同じように感染爆発しているアメリカでは相変わらずライブコンサートはスタンディングで続行中であるし、4月に開催されるコーチェラなどのフェスでは、マスク着用もワクチン義務もなくなることがすでに発表されている。
筆者は、彼らがもはや世界規模のアイドルでありながら、この東アジアの文化風土に由来する現状に対して、適当に誤魔化したり美化することをせずに、丁寧に、優しく違和感を表明したことに感銘を受けた。基本的に先に述べたような風土的特徴は、特定の誰か、何かのせいではないから怒りのやり場もない。誠実なアーミーたちが悪くないのは言うまでもなく、制限を課した政府が悪いのかと言えば、その責任はその政府を選択している国民に翻って返ってくるし、最終的にはその総体としての文化風土の問題なのだ(この問題は言うまでもなく日本人も共有している)。ルールに従うことでどんどん人間性を失いつつあるということ自体、文化風土に由来する行動パターンであるからなかなか自覚できない。だからこそ、変えることもまた非常に難しい。
東アジアの文化風土に対する客観的な認識は例えば、アーミーボムでウェーブする時間に繰り返されていた「僕たちはウェーブの民族です」というRMの言葉にも表れていたと思う。この言葉にはBTSアーミーへの賛辞と同時に、マスゲームが得意な東アジアの特性がユーモア混じりに指摘されているように筆者には聴こえた。東アジアの集団的な同調性は、素晴らしい群舞や美しいウェーブを実現するが、同時に、権威に従属しがちな心理を形成する。ヒップホップの反骨精神と優れた知性を併せ持つRMは、その両義性をよくわかっているように見える。そして、そのような自分たちの性格を客観的に引き受けた上で、音楽によって良い変革を起こそうと努力し続けるBTSに、筆者は深い敬意を感じずにはいられない。しばしば「天使angel」などと呼ばれるBTSであるけれど、彼らの魅力は、その夢のようなパフォーマンスだけではなく、頼もしい現実主義にもある。
韓国でのライヴの当日、アーミーたちが掲げたメッセージの中に「キム・ナムジュン 建国して」というものがあり、SNS上で話題になった。RMを大統領に見立てるミームはネット上に定着しており、過去には韓国のアーミーたちがRMを大統領にした国をテーマにイベントを開催したこともあるそうだ。このRM建国待望論はもちろんファンタジーなのだが、国連でのあまりにも見事な演説の後、より真実味を増していると言われているし★1、今回のコンサートが韓国の大統領選の直後であったことからアーミーが掲げたメッセージには現実的な重みがあった。
実際、今回のコロナ禍での大規模コンサートのみならず、巨額の利益を生むBTSはもはやリアルポリティクスと無関係ではいられなくなっているはずだ。兵役の件にせよ、HYBEの「ライフスタイル・プラットフォーム」への事業展開の件にせよ、すでにその状況は始まってしまっているように見える。例えば二次創作やインタラクションゲームに事業拡大するHYBEに対して、あくまでもアーティストとしての音楽活動を中心にしてほしいという思いを持っているファンは筆者も含め少なくない。しかし同時に、この施作の背景には、メンバーが兵役につく期間をどう乗り切るのかという問題や、BTSが国家経済を支える存在である以上周囲から掛かるであろう事業拡大のプレッシャーなどがあると予想され、HYBEやBTSメンバーの置かれた立場もさぞ複雑なのだろうと思わざるをえない。
今回のスタジアムコンサートにしても、メンバーたちの発言からも垣間見えるように、膨大な数の交渉や調整の上でようやく実現に漕ぎ着けたのだろう。このように、リアルポリティクスとの関係の中で、どのように「ナムジュンの国(=BTSの価値観に基づくフィラントロピックな共同体)」建て、守るのかは、単なるファンタジーを超えた問題になってきているようにも見える。
RMがしばしば明言してきたように、例えばBTSのメンバーには韓国への愛国心があり、年長者を敬う極めて儒教的なところもある。また上にも述べたように、彼らは、自分たちの共同体の東アジア的な同調性にも自覚的であるように見える。そのような文化風土、民族性を否定するのではなく、「愛らしさ」によってマスキュリティー(男らしさ)を解体し、ユーモアによって年功序列を脱構築するといった仕方で、BTSはユニバーサルな愛や優しさを体現してきた。韓国語で歌い、名前も韓国語のままで成功した彼らは不必要に自分たちを変えることをせず(https://www.elabo-mag.com/article/20210726-01)、常に自分らしくあることの先に道を切り開いてきたのだ。2022年3月1日に公刊されたばかりの『Rise: A Pop History of Asian America from the Nineties to Now』(Harper)でも、BTSはアジア系アメリカ人にとっての理想として語られている。
「K-popカルチャーではマグル★2を意味する「地元民(locals)」〔=アメリカ人〕が、恥じらうこともなくアジア的で、同時に完璧に現代的な存在に服従しているのを目撃することは最高の願望である。BTSがなるように、アジア系アメリカ人もなりますように。」(Yang,Jeff; Yu, Phil; Wang, Philip. Rise (p.445). HarperCollins. Kindle 版.)
白人社会への同化(https://www.elabo-mag.com/article/20200227-01)とは異なる仕方で、世界各地の社会で正々堂々と「アジア的」でありかつ「現代的」な存在として名声を得たBTSは、間違いなく私たち東アジア系の人間にとって理想の未来を指し示すリーダーである。彼らは今後、ますます巨大化する資本や政治力に巻き込まれながらも、自分たちが自分たちであるがままに幸福でいられる生き方を探し求め、現実化していくのだろう。その過程の中で、おそらく国境に捕らわれない形で姿を現す「キム・ナムジュンの国」を、筆者は心から楽しみにしている。
注
★1――Yang, Jeff; Yu, Phil; Wang, Philip. Rise (p.445).HarperCollins. Kindle 版.
★2――J.K.ローリングの作品世界のなかで、魔力を持たない両親の間に生まれ、自身も魔術を使えない人間を意味する言葉。K-popカルチャーではファンではない人のことを意味するらしい。