眞鍋ヨセフ
elabo youth編集長。音楽、映画、アート鑑賞が趣味。
佐々木愛
関西在住。神学を学ぶ大学生。
A.B
武庫川女子大学生活環境学部に在学中の大学生。
C.T
関西学院大学人間福祉学部に在学中の大学生。
眞鍋ヨセフ(以下眞鍋):今回は、9月6日公開の山中瑶子監督の『ナミビアの砂漠』について座談会をしたいと思います。各方面から絶賛され、ロングラン大ヒットとなり、第77回カンヌ国際映画祭でも国際映画批評家連盟賞を受賞している今作品ですが、監督と同世代の者たちで是非鼎談したいと思っていました。
皆さんそれぞれ、印象に残った場面や、気になった部分というのはありましたか?私は観終わった後、生々しいリアリティが刺さってくるような印象を受けました。ありがちで感傷的なエモさではなく、自分が経験したことのようなリアリティを感じたことに驚きました。最も印象に残っているのは、カナの彼氏たちが不自然なくらい優しかったことです。爆発しないで、すごく自分を抑えているように描写されていたなと感じました。それと、もう一つはSNSをしている様子が一切出てこないのに、SNSに毒されている若者の雰囲気は描かれているように見えて、とても感心しました。
C.T:私は思ったのは写し方とかもそうですけど、ドキュメンタリーみたいな感じだなということでした。特に印象的だったのが、2人目の彼氏のハヤシの家に住んでて、玄関のベルが鳴って1回目は面倒くさくて出ないんですけど、2回目になって出た時、スマホを置いていくんですけど、その時にずっと見ていた砂漠の動画をズームして撮っていくシーンです。そのときにズームしきって、何の映像かわかりかける直前で、カナがスマホを見られたくないかのように持っていく。本当にカナという人間に密着している生々しい映像みたいに感じて、観終わった後も、河合優実が演技してることを忘れてたくらいでした。
佐々木愛(以下佐々木):印象に残ったシーンは、1人目の彼氏のホンダが別れた後に職場までやってきて、「カナがいないと駄目なんだ」みたいな感じで、カナにすがりつくような場面です。なんか生々しい恋愛の部分なのに見ているこっちはめちゃくちゃ笑えて、恥も外聞もない描写でした。「なんで笑えたんだろう」って理由を考えたんですけど、思えば登場人物のほとんどが全力じゃない感じというか、出てくる人がなんか絶妙にみんな距離感があって、カナだけは割と好きなように全力で生きて、言いたいことも言う人間だったと思うんです。さっきの場面だとホンダはカナとの関係性の最後に、ようやく本音というか人間らしさが出たように感じて笑えたのかなと思いました。そういうリアルな感情の表出が面白かったし、印象に残った部分ですね。
A.B :私が経験していないことですらも、ものすごくリアルに共感することができる、そういう場面が多い映画という印象でした。主人公が中絶していたという設定があって、カナは最初の方はどこか感情がないように見えて、あれって思ったんですけど、どんどん情緒が不安定に変わってくる。ハヤシのちょっとした一言で、バーっと暴走したり。
C.T:ほかにも冒頭にかなり引きのシーンから始まり、長時間誰にズームインするかわからない状態を見せられる撮り方からは、数多くいる人のうちの一人を取り上げているにすぎないという感じがしたり、カフェで友人のイチカと会話するところも演技感が全くないというか。ここらへんは河合優実さんの演技が上手だということもあると思うんですけど、イチカの話がつまらないって時に頑張って意識を保つけど、目がだんだんキマってくる感じとか、喋っててつまんなくなってだんだん周りの音が大きくなったりとか、カナという人物の描写がとても細やかですよね。
眞鍋:カナから時々漏れている無気力さと言うか、ある種の厭世観って後から考えるとカナだけじゃなくて、周りの人間もそんな感覚を共有しているような気がしました。すごくシンパシーを感じてしまう瞬間がありましたね。別に自分自身は無気力と思ってるわけじゃないけど、確かにそういう空気感に支配されてしまうというか、そういう気分になる時って僕たちの世代が皆共感できることだと思います。山中監督が同年代であるってことも考えると納得してしまうというか。
佐々木:この無気力さとか何かを諦めてる感じは、「さとり世代」という呼び名とも関係するかもしれないですけど、若い世代に行けば行くほど、将来成功してやろうみたいなガツガツした感じが薄くなっているのかもしれないですね。もう育ったときには、経済もそんなに成長してないし、就職も現実的なところで、お金よりもしんどくないところに行こうみたいな空気感は浸透してると思います。なので、頑張ろうって思ってないという意味の無気力よりは、諦めというか、「私の人生ってこの程度でしょう」みたいな感じだと思うんです。でも、それって実は処世術でもあって、そう思うことで傷つかないで済む。リスクの高いことをしても成功しなかった場合、借金だったり相当大変なことになる可能性もある。そうならないための処世術というか、生き方みたいなのは我々の中にもあるかもしれないですね。
A.B:確かにカナの場合は単純な無気力とは違いますよね。正確なセリフは覚えてないんですけど、「貧困と少子化の社会で我々の目標は生存することです」って言葉がすごく印象に残ってて、最初に聞いた時はクスって笑っちゃいましたけど、後から思い返すと「確かにそうかもしれない」って納得させられる部分もありました。
C.T:無気力というか、人生に諦めがあるというか、特に近い人間との関係に対してドライな感じはすごくわかる部分です。例えば「何言っても無駄だろうな」とか「変わらないだろうな」とか思って、コミュニケーションを控えちゃったりとか、そういう対応することって私もあります。ハヤシの友人の官僚に会ったシーンでも親しくなろうという気持ちがゼロというか、本当に気だるげな感じで、何もかも面倒くさいって感じでしたよね。
眞鍋:無気力なのと同時に、カナは自分の納得いかないことに対しての決断が早い気がする。脱毛サロンのバイトもすぐ辞めるし、ホストクラブで友人をほったらかしにして帰ったり、そこら辺の決断の早い印象もありました。エネルギーの発散をするときはして、そうじゃない時は充電が切れてるみたいな感じ。
佐々木:エネルギーの発散といえば、ホンダとまだ同棲している時に、ハヤシと会いにいく時のウキウキ感とか人間らしさが出てましたよね。無気力じゃないのが人間的じゃないって意味ではないですけど。謎の音楽もすごい良かったし(笑)
A.B:謎の音楽でしたね。あと、なんかすごい奇妙な歩き方するし、側転したりとか(笑)
C.T:さっき、佐々木さんも眞鍋さんも、彼氏像が優しいって感じたと言ってたじゃないですか。私は逆に表向きはそうだとしても、ホンダが車内で中絶の話になった時にブチギレたり、ハヤシも暴力は振るわないけど、喧嘩中に「マジで殺すぞ」みたいなセリフがあって、どれだけ優しい人間でも、そういう時の言動が結局本性を表していると思うんです。実際に自分の彼氏にああされたら結局こういう一面をもっているから付き合えないって思うし。そういう意味では優しいけど、怖いっていう印象はありました。
眞鍋:そう言われると確かに優しいけど、同時にすごく怖いですね。ホンダとハヤシから感じたのは、ああいう本性みたいなのは誰しもが持っているのに、すごく不自然に隠しているなというか、表に出ないようにしている印象でした。いい人でいるとか、理解がある彼氏みたいな感じを出しているというか。世代として優しい家庭的なキャラがモテるみたいなイメージがあるんじゃないかなって思うんです。
佐々木:人間というか動物的というか、そういうものを押し殺して、もしくは抑圧されながら生活をしているみたいな印象はありましたね。少なくとも、この映画の中ではみんな本心を隠しているように見えるというか、カナは自分勝手に生きてるように正直に生きているというか。一番真っ当な人間ですよね(笑)彼女からしたら、取り繕うというか、そういう演技みたいなのは見透かしているのかも知れない。でも、フォローじゃないけど、ホンダもハヤシも彼氏たるもの、彼女の言うことを優しく受け止める、ちゃんと仕事もして、ちゃんと話も聞いて、なんか時々はデートもしてみたいな、型にはまっているのはあるのかも知れない。なんか一生懸命演じてるんだけど、受け止めきれないものがあったときにそういう本性というか人間性が表出してしまう。
A.B:私も優しいとは思わなかったですけど、中絶という重い出来事のところで、2人の責任感が軽いというか、モヤモヤしてしまう部分はありました。
佐々木:中絶の話の部分が、一番感情が動いてたところだったのかなって思います。女性側が経験するものと、男性が経験するのは大きく違うと思いますし。
C.T:ハヤシと付き合いだした当初から、2人は喧嘩がちというか、かなり激しめの喧嘩をしてましたよね。そのタイミングで優しそうなホンダがよりを戻しにきたので、私は気持ちが揺らぐのかなって思ったんです。そうしたら、カナはホンダをバッサリ切り捨てていて、彼にないものがハヤシにはあったんじゃないかなって思いました。ネットのレビューでも、カナは父性というか、頼もしさ、ワイルドさ、力強さみたいなのを求めているという感想がありました。
A.B:確かにホンダは逆に母性というか、酔い潰れたカナを介抱して、料理もしていて、父性的なものと真逆な感じだったかもしれないです。
眞鍋:ハヤシの方が、多分在宅でフリーランスで、自分の腕で稼いでいくみたいな気概はありましたよね。そういうのがワイルドさやマッチョ的な部分になるのかもしれないですね。
A.B:佐々木さんが、ホンダが最後に人間らしさが出ていたのが笑えたと言ってましたけど、確かに怖いというよりは胡散臭かったかもです。
佐々木:そうだよね。なぜって思ってしまう。カナも尽くすタイプだったらわかるけど、そういう描写は出てこないし、他にもそんな様子はないですし。ホンダは本当に演技みたい(笑)
C.T:最近はカップルYouTuberとか多いじゃないですか。いい彼氏像とか、彼氏はこうあるべきといった価値観はそういうところでも作られているのかも。生理中の彼女にこういうことをしてあげた動画とか、かすかなメイクの変化に気づいてあげる彼氏とか。もともと女性は割と気遣いができる、みたいな前提で、男性もできる人が増えてきたなみたいなふうに感じてしまう。だから映画内でハヤシやホンダを見ててもあんまり我慢してしてるみたいなイメージを持てなかったかもしれないです。
佐々木:人間関係って部分だと、普通家族が一番近しくて、その次にお付き合いしてる人がいて、その次に濃いのは友達でみたいな、関係の密度がグラデーションになっているのが一般的かなと思うんですけど、この映画を観て、実はそうでもないんじゃないかって思わされました。カナもスマホ越しの中国のお母さんが物理的に一番遠くても、関係性としえては近いように見えるし、どれだけカナがメチャクチャに見えても、友人をほっぽらかしたり、彼氏に理不尽な絡み方で喧嘩になったとしても、人間として終わってるなんてことはない。人との距離感が変わってきてるのかもしれない。
眞鍋:スマホ越しの方がリアルを感じているみたいなのはありそうですよね。ハヤシの両親に会いにいく時も、すごく居心地が悪い感じでしたし、ハヤシの両親の話にもすごい反応が悪い感じでした。なんだかリアルに関係を持つことの難しさというか、本当に生身の人間と向き合うことに対する抵抗というか、こういう点に共感できる同世代は多いんじゃないかって思います。画面越しの砂漠のライブカメラや母親の方がリアルに感じるみたいな。
C.T:フィルターを1枚挟んでいる方が心地いいのかなと思いました。だからこそ、カウンセラーの人にご飯行きませんかと言っていたのかもしれない。もし「行きましょう」ってなったら、多分また他の友達みたいな雑な扱いになっていたのかなと思います。もう一歩踏み込みたいという欲望をギリ我慢してるぐらいがカナにとってベストなんじゃないかと思うんです。カウンセラーみたいなちょっと距離遠い感じが楽なのかなと。私も個人的にはフィルターというか、ワンクッションのある関係が多い方が楽かなって思います。楽というか、期待してやっぱり違う、合わないってなったときの失望感が嫌だからかもしれないですけど。
A.B:私も近過ぎたら嫌なタイプ。自分の時間も絶対必要なタイプなんで。カナまでは行かないけど、ある程度距離感が欲しいタイプです。
眞鍋:こういう感じのカップルって知っている限りだと共依存というか、どちらも駄目になっていくのが「あるある」だと思うんですけど、カナとハヤシは絶妙な距離を保ってますよね。
佐々木:相手がいないともう駄目みたいな感じではないけれど、でも一緒にいるみたいな。確かに依存はしてないと思う。実は2人ともドライ。あんな取っ組み合いして。そういう肉体性とか暴力性みたいなのって、全面的に肯定は難しいけど一方でスカッとする部分もあったりする。ハヤシもホンダもぶちギレたときにようやく本音が出たみたいに思ったという意味で。我々が隠そうとしてるけど、実はちょっと求めてる何かがあるのかも。これってまさにこの前のアメリカ大統領選挙とかの話とも関係するのかな。正しさや正義の話ももちろん大事だけど、マッチョとか、人間的な欲望とか、お金を稼ぐみたいな価値観をうっすらやっぱり本音としては抱えていて。建前では正しいことを言ってても、それが実現できていない現状がある。あるタイミングで本音が出てくるんじゃないですかね。
眞鍋:そういうのが別に悪いとかじゃなくて、むしろ人間ってそんなもんだみたいな話は理解できます。むしろ、今押し隠してるっていうのが現状だから、フィクションの中で人物が隠していたものを出す瞬間を見たら、ちょっとスカッとする (笑) 確かに自分もそんな部分があるかもしれない、みたいな共感があるかもしれないですね。
C.T :自由奔放さや捉え所のなさに目が行きますけど、カナはちゃんと人と対話できる感じだから不思議だなと思いました。唐田えりかさん演じる遠山ひかりとの交流はかなりリアルではないかなと思いました。キャンプファイヤーをどこでしているか謎だと思いましたけど(笑)自分も経験あるみたいな声かけの仕方をしていましたよね。「わかるよって言われるの実は心地いいんだよね。わかるよ」とか、自分も何かあったのかなみたいな喋り方していた。
佐々木:それ言っていましたね。とても印象的なセリフ。「わかるよ」って言われるのは嫌だと思うけど実はちょっと嬉しいと思うタイプでしょみたいな。カナはわがままに見えるけれど、一方で他人を求めてはいる。
A.B:カナみたいな人は身の回りになかなかいないじゃないですか。すごい変わった子というか特殊な感じの子なのに、しっかりと周りに人がいるから、実際みんなカナが好きなんだなって思いました。カナを見ていて憎めはしなかったですね。時間が経てばたつほど羨ましくなった。
佐々木:最も正直ですよね。最も隠し事はない。真っ当な怒り方をしている。中絶もそうだし、生存発言もそうだし。自分本位に見えるけど実は一番ちゃんと真っ当な怒りを抱えている。
C.T:最初のシーンでまず思ったんですけど、多分この子めっちゃ周り見えているんだろうなと。自由奔放なとこもあるけど、俯瞰しすぎているぐらい。例えばイチカと別れるときに、多分この子まだ帰りたくないんだなと思って、ホストクラブ行こうと言っている気がする。貧困と少子化の話が出たときも、いつニュースを読んでいるのかわからないけど、彼女なりに周りを見ている。そういう意味で芯みたいなものがあるのかなと思いました。だから生きていけているんだろうなと。
眞鍋:現実逃避はしていないっていう感じがありますよね。砂漠を見ることがそうなのかもしれないけど。例えば流行を追いかけるだとか、推し活とか、何か自分が好きなものに没頭して、逃げるみたいなことが全くなくて、自分で正面から対処するしかなくて、それが対処しきれなくて彼氏に当たるみたいな。でも、殊更に重く捉えなくてもいいんだみたいな、そういう軽やかさも同時に併せ持っているのがカナなのかもしれない。
A.B:現実逃避していないからこそ苦しんでいるのかもしれない。それはすごくわかる気がします。劇中でカナが自分から何かすることって人に対して意外になかった気がしていて、それが唯一砂漠の動画観ることぐらいだったような気がします。それがカナにとって、何かロールモデルというか、憧れというか、精神安定剤的なものなのかなと思いました。そこに映っている野生動物とカナは、その野生的なところとかが似ているのかもしれない。
C.T :終わり方もすごい印象的でした。向き合って元カレの作った?ハンバーグを食べてたら、中国の母親から電話がかかってきて、その後にカナの言ってた「ティンプトンって何?」ってハヤシが聞く。「ティンプトン」って「意味がわからない」って意味らしいんですけど、言葉の意味をその時に知らないから、カナとハヤシが笑い合ってエンディングになって、呆気に取られた感がありました。
眞鍋:それでカナは分からないと言っていたのか。「どういう意味?」って聞かれて「わからない」って答えていたんですね。
A.B:ハンバーグ食べたあと、また取っ組み合いになるかもしれないけど、その後どうなるのか気になりましたね。いつまで続くんだろうって。
佐々木:分かり合えないけれど、でもその「ティンプトン」という言葉でクスッと笑うことは共有できる。その場と経験を2人で共有するということ、それだけでも、お互いに理解できているのかなと思います。あのシーンがもしなかったら、結構つらい気がします。あのラストシーンは必要だと思うんです。救われたというか……。
眞鍋:貧困とか少子化とか、今現実で起こってることの全容はわからないし、なんなら自分という存在の現状も、2人の関係性の正解もわからない。そういう状況で2人が初めてわかり合えるみたいな印象でした。深読みししすぎてるかもしれないけれど、最後にささやかな希望はあるなと思います。カナは世界に対して、誠実さを求めていたというか。わからないことや、他人が被っている皮みたいなことにすごく敏感な感じでしたもんね。「わからない」ということをハヤシと共有できたみたいな解釈もできそうですね。
C.T :確かに、「ティンプトン」という価値観というか、その言葉で笑って終わるというのは、平和でもあるし、でも同時に現実から逃げずに対峙していくみたいな希望があるものと考えられそうですね。
眞鍋ヨセフ
elabo youth編集長。音楽、映画、アート鑑賞が趣味。
佐々木愛
関西在住。神学を学ぶ大学生。
A.B
武庫川女子大学生活環境学部に在学中の大学生。
C.T
関西学院大学人間福祉学部に在学中の大学生。