キング牧師の母校であるジョージア州アトランタのモアハウス・カレッジでアフリカン・アメリカン研究を専攻し、2004年に卒業。2017年、同志社大学大学院神学研究科博士後期課程修了。2016年より、日本キリスト教団阿倍野教会牧師
著書『ヒップホップ・レザレクション』、『ヒップホップ・アナムネーシス』(二木信さんとの共著)の中で、山下壮起さんは、ラップ、特にギャングスタラップは社会の中であぶれた人、声を上げることすらできない人の厳しい現実を、時に汚い言葉で証言していると述べている。そして、ヒップホップの歌詞の中には、社会の中にある弱い立場に置かれている人の視点があるとも指摘する。他方でヒップホップもポピュラーになり、様々な人種、階層の人が聴くようになり、ラッパー自身も億万長者になるなど、ラップやヒップホップを巡る社会状況も変化している。Kendrick LamarとDrakeのビーフを出発点に、ヒップホップの政治性や芸術性を、今日どのように再考できるのかを伺った。
眞鍋:山下さんの中で、Kendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)をどのようなラッパーだと考えておられるのかを教えていただけますでしょうか?
山下壮起(以下山下):依頼をいただいた時にDrake(ドレイク)をこれまで全然聞いてこなかったことはお伝えしたと思うのですが、実はKendrick Lamarも、あまり積極的に聞いてきたというわけではありません。彼は声色を色々変えながらラップすると思うのですが、最初聞いたときに自分は全然はまらなかったんです。ただ、4年ぐらい前に河出書房新社の『ケンドリック・ラマー 世界が熱狂する、ヒップホップの到達点』の原稿の依頼をされたきっかけで改めて聞くようになりました。
「Alright」がBlack Lives Matterのアンセムになり、日本でもSEALDsのデモでKendrickの曲がかかっていましたが、彼の曲をじっくり聞くことでそれほどの影響力を持つようになった理由がわかったように感じました。
そのなかで思い出すのは、2011年にSnoop dog(スヌープ・ドッグ)やThe Game(ザ・ゲーム)が、Kendrickのライブの中で、「ウエストコーストのトーチはお前に託す。お前が新しいウェスト・コーストのキングだ」と言って賞賛した出来事です。
ヒップホップもいわゆる縦社会っていうか、ホモソーシャルとも批判されたりする部分ではありますが、先人や先輩たちからも認められたという事実は重要なことだと思います。彼自身はギャングスタラッパーではないんだけれども、ストリートのことをちゃんと表現できて、かつ表現の豊かさというものをすごく持っているアーティストであることが認識されている結果なんだと思います。
眞鍋:縦社会の中で認められるというのはアーティストとしての説得性や箔がつくというような理解でいいでしょうか?
山下:縦社会と言っても、日本のように先輩に対して従順であれ、みたいなものとはまた違った部分があって、コミュニティの中で認められるという意味合いが重要だと思います。特にウエストコースト、西海岸はギャングカルチャーみたいなのもあって、「OG(Original Gangstaの略で、長年ギャングのメンバーである人物への敬意を込めた呼び方)」という言葉がヒップホップの先駆者やベテランを指して使われますけども、そこから認められるっていうのはやっぱりすごく大事なことです。ヒップホップという文化を切り開いてきた人たちから認められて、「トーチ」★1を託されるというのは重い意味を持つわけです。例えば、Busta Rhymes(バスタ・ライムズ)がQ-Tip(Qティップ)をフィーチャリングした「You Can't Hold The Torch」という曲で、ダサいやつには任せられないっていうことをラップしています。
やはり、文化を誰がちゃんと継承していくのか、みたいな意識がラッパーたちのなかにあるのだと思います。なので、マイク1本でのパフォーマンスや楽曲もそうですし、その中で地域とかコミュニティの中でどういうことが問題としてあって、そこで生きている人たちをどうレペゼンしていくのかが見られていると思います。あるいは、言葉にどれだけ魂がこもってるのかとか、その言葉にどれだけの人たちが感動したのか、感情を呼び起こす力を持ってるか、そういうところを認められるというのが、ヒップホップの縦社会の中で認められていくことと言えるのではないでしょうか。
眞鍋:今回のKendrickとDrakeの間のビーフを考えてみると、個人間での争いに見える部分があります。過去にはIce cube(アイス・キューブ)とCommon(コモン)、非常に痛ましい結果となった2Pac(2パック)とNotorious B.I.G.(ノトーリアスB.I.G.)のビーフなど、ラップのスタイルや地域間のビーフもあったと思います。ビーフのそもそもの歴史や特性といったものは時代と共にどのように変化していたものなのでしょうか?
山下:ビーフというのは、どうしてもヒップホップであるから生じてしまうものと言えるかもしれません。そもそも、この文化が生まれた時からコミュニティのつながり、「共同性」といった側面がありましたが、他方では、ラップにしても、ダンスにしても、バトルをして誰かと競い合う、自分が一番なんだという「競争性」の側面があります。この競争的側面がビーフというものには関係があると言えます。つまり、バトルが起こった際に、相手よりどれだけ上手いことが言えるか、ということが重要になるわけです。たとえば、「お前を殺すぞ」と言ったとしても、本気で殺したいという意味ではなくて、相手をいかにどうやって殺すかっていうところの表現の巧みさを競ってるわけです。言葉を用いることで、本来そこにあった規範や秩序を1回ごちゃごちゃにしてから、また新しい関係性を見いだしていく働きがあると思います。こういった競争性、競争的な側面というのは奴隷とされた黒人たちが、奴隷制とか、人種差別、そういうものを下支えする規範や秩序を一度混乱させて新しい世界を見せるために、ずっと昔からやってきたわけです。一方でビーフの競争的な側面とは別に考えなければならない重要なものがあると思います。、それは、ストリートにはやはり独自の規範があるということです。何がその規範の根底にあるかというと、リスペクトの問題です。ストリートが自律的な空間であるために、リスペクトが最も重んじられているということです。よく「ビーフを解消した(Squash the beef)」という言い方がされるんですが、なぜビーフがなくなったかというと、二者の間でリスペクトし合う関係性が回復されたっていうことを意味するんです。面白いのは、さっき言ったことにも通じるかもしれないですけど、ラッパーたちがどれだけ相手と曲で応酬し合っても、昔からそれが暴力沙汰に発展するっていうことは全然なかったと記憶しています。
眞鍋:そうすると、2PacとNotorious B.I.G.の間のビーフは特殊というか、かなり異常な結果とも言えるものだったわけですね。
山下:2Pacが亡くなるきっかけとなった銃撃事件がDiddy(ディディー)によって仕組まれたことを示唆する証言が出てきているようですが、真相は不明な部分が多いままです。ただ、2Pacが殺される二年前、ニューヨークのスタジオにいた時に銃撃されたという事件があって、彼としてはストリートの規範、リスペクトがどこにあるのかという所在を巡ってモヤモヤしたものがあったと思います。そしてB.I.G.としても、その件に関しては本当に誰の差し金か分からなかったんだと思います。そのまま、両者の間にしこりが残ってビーフの解消しようがなくなってしまった結果、あのような最悪の結末を迎えたのかなとも思います。ビーフというのは、あくまでも本来は曲だけでのやり取りであって、そこまで暴力沙汰に発展しないものだったはずなんです。というのは暴力を使ってしまったら、相手を言い負かすとか、どれだけうまい表現を使って自分の方がラッパーとして上なのかっていうのを示せなかったことになりますよね。つまり、ラッパーとして自ら敗北したっていうことを示してしまうことと同じになってしまうんです。加えて、そもそもビーフは同じ地域、コミュニティの中で起こっていたものだと理解しています。ウェストコーストとイーストコーストの間や、例に挙げて下さったCommonとIce Cubeの間のビーフのように地域外のラッパーとのビーフもあるのですが、例えば1999年に50cent(50セント)が「How to rob」で、当時のニューヨークの色々なラッパーたちに対して、あいつら全員しょぼいってディスしたり、そこから2000年代に入って地元が同じであるJa Rule(ジャ・ルール)とのビーフに発展したりもしました。
本来、ビーフは年代に限らずローカルな、限定されたエリアの中で起きるものだと言えると思います。なので、ローカルコミュニティの外のラッパーとビーフが発展していくのは、商業的な側面が絡んできた結果と言えるかもしれません。特にギャングスタラップが流行して、ウェストコーストが売れまくっていく中で、東と西のラッパーがお互いに勝手に焚き付けられていたことも原因と言えるでしょう。また、先ほど触れたJa Ruleと50centの間には地元でのドラッグの売買とかが関係していたとも言われています。そうなってくると今度はリスペクトの問題では解決できなくなってきます。そのような状況において興味深いのは、Nation of IslamのLouis Farrakhan(ルイス・ファラカン)が仲裁に入ったことです。
CommonとIce Cubeが揉めた時もそうでした。ルイス・ファラカンが出てきたことは、宗教がただの信仰の対象としてではなくて、黒人コミュニティのなかで仲裁者、mediatorとしての役割を果たしていることとも言えて興味深いところだと思います。
眞鍋:ストリートの中でのリスペクトの問題の重要性が非常によくわかりました。ストリートの中で、問題を解決するということはコミュニティにとってどのような意味を持つのでしょうか?
山下: それはアフリカン・アメリカンと法律、警察との関係性があります。今でも、アメリカ黒人たちからの警察という制度への信頼はないに等しい部分があります。極論かもしれませんが、結局はアメリカの法律は歴史的には、黒人を搾取するための手段という一面を持っています。警察が法の執行者の名のもとに黒人を不当に取り締まり、刑務所に送り込んでいる現実があります。警察・司法と結びついたアメリカの監獄は現代に奴隷制を復活させるものということが指摘されています。だから、Black Lives Matter運動は、警察の解体を要求するわけです。そして、問題が生じたときに、警察を自分たちのコミュニティに介入させて法によって決着をつけるというのは、現代の奴隷制に加担するようなものという理解もできます。なので、N.W.Aの『Fuck Tha Police』という有名な曲にもあるように、ギャングスタラッパーが警察に対峙する姿勢というのは、自分たちは奴隷とされた人びとの子孫だったという意識とも繋がっているわけです。警察に頼らない、頼りたくないということは自分たちのフッドを大事にする、ストリートの自律性を守ることと同じと言えます。
眞鍋:ストリートとの関係性で考えると、KendrickとDrakeの今回のビーフはどのようにみることができるでしょうか?
山下:ビーフをローカルでの出来事と限定して考えれば、例えばヒューストンだったらヒューストン、ブルックリンだったらブルックリン、Kendrickだったらコンプトンとか、ギャングスタであってもなくても、ラッパーたちは本当に厳しいストリートの現実を表現しているという点で相手をちゃんとリスペクトするし、そのリスペクトの上に立ってビーフしてる。ただ、Drakeにストリートからの信頼、いわゆる“street credibility”があるのかというと、全然ないと思います。それは良い悪いではなく、アメリカのストリートというのは奴隷制と地続きのものがたくさんあることと関係しています。大体どこの地域でも同じだと思うのですが、ストリートの中には自分たち生み出した規範があって、ラッパーたちがそうした規範によって行動したり、それらについってラップすることで、ヒップホップは自律的な空間としてのストリートを守ってきた側面もあります。。その観点から見るとDrakeには、ストリートからの信頼がないと言われても仕方がないと思います。
眞鍋:どうしても、Kendrickの今回のビーフの動きを考えた時に、個人的な恨みや思うところはあったにしても、アルバムの売れ行きだったり、ストリーミングでの人気を気にしてのやっかみのような反応があるような気もします。そのようなビジネスとの関係性はどのようにお考えでしょうか?
山下:もちろん、Kendrickのようなラッパーの本意を知ることはできないですが、Money, power, respect という言葉があります。稼ぐだけ稼ぐ、売れるだけ売るというのは、ごく自然なことと言えます。2000年代にアメリカで暮らしていたとき、ヒップホップ批判の一つとして見せびらかすための消費を意味する“conspicuous consumption”という言葉をよく聞いていました。ラッパーたちは見せびらかすために、贅沢をするけど、本当の金持ちはそんな高級車には乗り回さずに普通車に乗ってちゃんと投資をしている、そんな金の無駄遣いは子どもたちに悪影響だ、みたいな批判があったんです。これはKendrickへの期待みたいな話にも通じるところだと思うのですが、ラッパーに対して変なロールモデルというか、社会的模範になれという押し付けでもあると思うんです。1997年10月号の『現代思想』でBell Hooks(ベル・フックス)とIce Cubeの対談がありました。記憶が正しければ、そこでIce Cubeが「ラッパーがBMWに乗って何が悪いんだ。自分の稼いだ金で自分の好きなようにすることの何がダメなんだ」って言っていたと思います。
ラッパーもお金を稼がないと何もできないし、家族も養えない。よくラッパーが生まれ育った地元でチャリティイベントなどをしていますが、そうした活動もお金がないとできないわけです。昨年の『福音と世界』(2023年12月号)で「アナーキーな共同体」という特集に寄稿しましたが、そこに書いたのはハッスルとストリートの経済についてでした。
黒人たちが資本主義市場から排除されてきた中で、どのように稼いできたのかということです。たとえば、今はサブスクとかがありますが、アメリカにいた時、街を歩いていると、向こうから来た兄ちゃんがボストンバッグから海賊版のCDやDVDを出してきて、これを買わないかと声をかけてくる、みたいなことがたくさんありました。これは一例ですけど、やはり生きるためにハッスルをするっていうマインドがあるというか、何もないところからお金を生み出していくというマインド、色んなアーティストが”trying to make a dollar out of 15cents ”「15セントから1ドルを生み出す」みたいな表現をよく使っていますが★2、そういうのが資本主義に対しての一つの挑戦になっているわけです。資本主義と奴隷制というのは手を組んでいるわけですから、そこに対してハッスルしてお金を稼ぐことは全く別の経済のあり方を構築するものであり、自律的な共同体を守ろうとする営みだと言えます。
眞鍋:期待の押し付け、ロールモデルを求めるリスナーのあり方は思わされるところが多々あります。Kendrickは、Drakeがアメリカのアフリカ系アメリカ人のコミュニティで育っていれば今回のような過度な攻撃というか、やりすぎではないかと思うようなビーフは仕掛けなかったとお考えですか?
山下:ゲームというか、ビーフという枠組みに則るならば、Kendrickが言ったレベルのことは、それこそ悪意はないというか、バトル的な側面で言っていると思います。ただ、一つ思うのは、彼がDrakeのことを「colonizer」と言っていることについてです。自分たちの文化が乗っ取られているという意識がそこにはあると思います。DrakeがNワードを使うのが気分悪いというリリックもありましたが、お前にはユダヤ人のお母さんがいて、ユダヤ人コミュニティで育って、子役からラッパーになっている。自分たちがストリートで経験した人生を歩んでいないだろうと、そういう人物に使われたくないというという表明だとも考えられます。そういう意味では違った反応になっていたかもしれません。
眞鍋:Kendrickの今回のPVでは、排他的と捉えることもできるのではと思えるくらい地元愛が見られるものでした。今回の表現の意図はどのようなところにあるのでしょうか?
山下:今回のKendrickの姿勢というのは、現実のコミュニティへの意識、つまり、貧しさから抜け出せず、郊外に出て行くことができず、都市のインナーシティで生活をしている人たちのことを思い起こさせます。今回の『Not like us』のミュージックビデオで印象的なのが、みんなで何百人と集まってフックの部分を合唱してるシーンです。
アメリカのストリートと奴隷制の時代には地続きの部分があると、さっき言ったと思うんですけど、奴隷制の下では黒人だけで集まって礼拝することが禁じられていました。それはなぜかと言うと、黒人たちが農園を焼き尽くしたりする反乱が何度も起きたからです。その反乱の計画を阻止するために、黒人たちだけで集まることが禁じられたということです。たとえば、ジャマイカでは、白人よりも黒人の数が多かったから、その抵抗運動が成功して、山奥にマルーンという共同社会を作って自由な場所を作って、時々農園を襲撃しに行っては仲間を助け出してみたいなことをしていた歴史もあります。なので、黒人たちが集まるという行為自体がやっぱり白人にとって、あるいはアメリカ社会に対する脅威にもなるわけです。Uniteするというか、集まることの重要性というのは、そのコミュニティの中で育った肌感覚でしか分からないことですし、Drakeには表現できないことです。もちろん、世界各国、日本でもヒップホップがこれだけ流行っている中で、これはヒップホップで、あれはそうじゃないみたいなことは一概に言えないのですが、アメリカの黒人の音楽として始まってるっていうところが一番大事なことであると思います。それはヒップホップの美学・審美性の根源にあるものと言えると思います。ヒップホップは時代ごとに、どんどんダイナミックに変わっていくものではありますが、揺るがせないのは黒人の音楽なんだという事実です。そして、それをきちんと言い続けないといけないのは、ブルースにしても、ジャズにしても、あるいはゴスペルとかにしても、やっぱり白人に乗っ取られてきたっていう感覚が黒人たちの中にはあるからだと思ってます。それが多分、ヒップホップの政治性、人種を巡る政治とも深く関係はしています。
眞鍋:そうするとKendrickは、いわば一番王道というか最も原始的なヒップホップのあり方に回帰したと言えるのかもしれないということですね。
山下:2018年に彼はピューリッツァー賞を獲ったじゃないですか。これはラッパーへのロールモデルの押し付けというところにも関係すると思いますが、ピューリッツァーを獲得するくらいなんだから、こういうアート、表現に期待しているみたいな考えがどこかしら世間にあったとは思います。ただ、誰のヒップホップの評価が重要なのかというところに戻ってみると、それは音楽評論家でも専門家でもなく、ストリートなんです。ピューリッツァー賞は一般的に見たら、すごく名誉なことではありますが、ストリートからいかに支持を得ているかっていうことの方が、Kendrickにとってやっぱり一番大事なことなのだと思います。そこを忘れてしまうと、やっぱりそれはヒップホップではなくなってしまいますし、自分のコミュニティを思って言いたいことをラップしているというのはあるのではないでしょうか。世間的な評価が全てじゃなくて、そこで生きている人たちの方がやはり大事というところに回帰はしているとも言えるのではないかと思います。
眞鍋:ストリートからの信頼というキーワードがありましたが、人種やコミュニティにこだわらないヒップホップのあり方やその可能性についてはどのようにお考えでしょうか?
山下:難しい質問ですね。コミュニティにこだわらないというよりも、どこにコミュニティを見出していくのかが変わっていくということなのかもしれません。そして、それは多分、今と10年後、20年後では、その答えが全然変わってくることなのかなとも思います。たとえば、既存の地元の地域社会に居場所が見出せない人たちが、SNSの空間など、オンラインコミュニティに居場所を見出していると思いますし、今までと違うコミュニティの形があって、そこに繋がる人は増えていってるのではないでしょうか。
眞鍋:Kendrickがここまでヒップホップの王道に回帰した一方で、商業的な成功や、SNSの普及などによって、コミュニティにコミットせずとも、気軽に参加できるカルチャーになっているのではないかと思います。しかし、その結果、日本では今回のビーフが異なる文化圏の出来事であるという認識を持つことなく盛り上がっているように思います。今の時代にヒップホップというカルチャーをどのように受け止めるべきか、お考えを伺いたいです。
山下:音楽に限らずアートというのは、やっぱり作り手と聞き手の関係というか、作品が出されてしまったら、それをどのように受け止めるかというのは相手に全て委ねられている、みたいなことはよく言われますよね。たとえば、私はアメリカのヒップホップを主に聞いてきたわけですが、ヒップホップがなければ、日本の中で目を向けられることのなかった格差社会だったり、そういう問題を見ることはできなかったと思います。僕の生まれは京都なんですけど、同い年にAnarchy(アナーキー)がいて、京都市南部の向島で育った経験をラップする彼の音楽と出会ったことで、格差社会を知ることができました。
日本にはゲットーみたいなのはないと言われてましたけど、実際にはあったわけです。そういう隠された、知られてない部分をどう表現していくかについては、ヒップホップは黒人の音楽ではあるけれども、同時に人間の弱さ、人間が生み出してしまう破れだったり、現実を真正面から引き受けることができる普遍的なものだと思います。ヒップホップは公民権運動を戦ってきた上の世代から、もっと模範的にちゃんと生きなさい、先人たちの偉業をぶち壊しにするなとか、そういう批判を受けてきましたが、それに対して、模範的に生きたとしても現実の問題が解決できるわけではないと主張しています。もちろん、色んなタイプのラッパーがいますが、そういう綺麗事よりも、人間として自分の行きたいように生きる、人間の弱さ、破れも真正面から引き受けて、それを表現していくというのがラッパーたちの生き様と言えます。そして、それは国や人種、地元性を超えるヒップホップの普遍的な要素とも言えるかもしれません。日本のラッパーたちの中にはそれを表現している方々も沢山いると思うので、リスナーとしてもそういう部分を受け止めていけるといいかなと考えています。
眞鍋:ラッパーやヒップホップに対して抱いている無責任な幻想についての指摘が非常に印象深いものとなりました。ビーフの歴史的な流れを教えていただいたことで、客観的に今回の件を受け止める視点が与えられたと思います。一方で、ヒップホップという影響力のあるカルチャーが今後どのように変化していくのかを一人のファンとしても楽しみつつも、考え続けたいと思わされました。本日はどうもありがとうございました。
★1
松明やともしびを意味する言葉だが、文化や伝統の光・灯火といった意味で使われる。
★2
Master P “ Tryin To Make A Dollar Outta 15 Cent" Feat RBL Posse”
2Pac “I get around”
などが挙げられる。
キング牧師の母校であるジョージア州アトランタのモアハウス・カレッジでアフリカン・アメリカン研究を専攻し、2004年に卒業。2017年、同志社大学大学院神学研究科博士後期課程修了。2016年より、日本キリスト教団阿倍野教会牧師
elabo youth編集長。音楽、映画、アート鑑賞、読書が趣味。