20歳、大学3年生。滋賀県出身の台湾好きなフェミニスト。
最近、インスタグラムにおいて「大学生が買うべき商品」や「大学のうちに学んでおくべきこと」など大学生に対し「〜すべき」と投げかけるポストが目立つ。これらの投稿では、iPadやApple Watchといった作業の効率化に特化したApple製品や、「投資」「税金」「保険」といった生活に直結する学習内容が紹介される。また、YouTubeには一冊の本や映画の内容を10〜15分程度で紹介するといったチャンネルが存在している。スマホに届くニュースは、AIにより選別された自分好みのものだけだ。デジタル技術の発展によって社会の「効率化」はとどまるところを知らない。そして、私たちは無意識のうちに効率化された社会のなかに組み込まれている。私はこの状況に対して、無駄なことを楽しむ余白が少しずつ圧迫されていると感じる。
コロナウイルスの出現によって、人々の生活は大きく一変した。そのなかでも大学生に課せられた変化は大きい。オンライン授業が主流となり、部活やサークル活動、留学、旅行にいたるまで思い出と学びのすべてを諦めざるをえない現状が続いている。筆者である私も、現在大学3年生であり、キャンパスに通った期間はわずか1年である。さらに、交換留学はオンライン留学に変更になり、消化不良の状態のまま就活への切り替え時期に突入している。
国立大学保健管理施設協議会のメンタルヘルス委員会によって、2020年の学生の自殺率の実態が発表された。2020年度は82の大学が調査に参加し、43万3,032人のうち(男性27万3,308人、女性15万9,724 人)、76人(男性58人、女性18人)の学生が自殺または自殺の疑いで死亡していた。10万人あたりの自殺率は、男性21.2人、女性11.3人、全体が17.6人となった。
2012年度以降の調査結果の推移を参照すると、減少傾向にあった自殺率はコロナの発生時期である2019年から2021年にかけて急激に増加している。
コロナ禍の大学生が抱える不安は多くのメディアやSNSで言及されているものの、いまだに解消されていない。延長する緊急事態宣言によってアルバイト先は休業が続き、経済的負担は増すばかり。オンライン授業の延長で、友達ができない、遊べないなかでの生活は、孤独感に押しつぶされそうになる。加えて、コロナ拡大の原因は「若者」であると2年間言われ続けている。アルバイトのために仕方なく街中に出向く若者や、オンライン授業と節約のために引きこもり続けている若者の存在を無視したまま、若者が出歩くこと=不要不急の外出といった決めつけをずっと負わされ続けてきた。
そして、大学生や若者が抱えている不安は現状に対してだけではない。将来への不安も大きな原因である。コロナの出現によって多くの企業や店が倒産した。内定を取り消され、就留(就活留年)を余儀なくされた先輩の存在も身近にある。コロナのような予期せぬ出来事によって人生計画が狂うことを身をもって経験した私たちは、将来に対して必要以上に大きな不安を抱えている。elaboが「若者がどのような政策に関心を持っているのか」(「未来に向けて、まずは考えを共有しよう──アンケート調査(7/29〜8/7)の結果から」)を調査するために行なったアンケートでは「年金制度」「雇用」「消費税」といった将来の生活につながる項目への関心が高いことがわかる。
その不安を解消するために、大学生のなかでは「何かあったときのための資金」や「1人でも生きていくための力」を特に重視している風潮がある。インスタグラムで「学ぶべき」と紹介されている「投資」「税金」「保険」といった内容は、現在の大学生の不安を顕著に表しており、関心を引くのにも効果的であると言える。
生きるために役立ちそうなことだけを選別し、効率的に学ぶことは一時的な不安の解消には繋がるだろう。しかし、本当にこのような効率重視の考え方が私たちを救うのだろうか。むしろ、このような考え方によって“無駄なこと”を楽しむ余白が少しずつ圧迫されていると思う。
例えば、辞書で知らない単語を引いた時に、隣に並ぶ面白い単語も知る、といったことはスマートフォンの辞書では起こりづらい。素早く知らない単語を知ることができるという点で言えば、スマートフォンの利便性は高く、ほかの単語を見ている時間が無駄だという意見もあるだろう。しかし、新たな出会いを与えてくれるという点では、紙の辞書の圧勝だ。自分の欲しい情報や役立つ情報だけをインプットするという、効率的な情報収拾は時に新たな発見や出会いを欠いていると考えられる。
教育熱心な家庭では勉強の邪魔だと嫌われがちなアニメやマンガ、ゲームが人々に生きる勇気を与えることも多い。今冬公開予定の「劇場版呪術廻戦0」の声優発表時に、緒方恵美さんのTwitterに寄せられた声と、緒方さんの返信がすべてを物語っていると思う。誰かにとって一見無駄なものは、誰かの心を解かしたり、踊らせたり、生きる希望を与えたりするのだ。
加えて、私がここで指摘したいのは、現代において無駄を楽しむことよりも“見えない将来のために働き続けること”のほうが何倍も楽であり、精神的負担が少ないという側面を持ってしまっているのではないか、ということだ。ドイツの哲学者ヨゼフ・ピーパーは「力を抜いて、ゆとりを持つことは、それ自体は楽で、苦痛のない状態ですが、じつは力をふりしぼって活動する方がある意味ではずっと容易だ、ともいえます。“余暇”はこのように何の苦労も努力もいらないものでありながら、もっとも困難なもの、というパラドックスを含んでいます」(Pieper, 1965)と余暇享受の難しさを指摘している★1。1965年に指摘された余暇享受は、時代の流れとともに産業化され、デジタルに組み込まれることでより難しさを増している。特にケータイ・スマホ所有者の7割以上がスマートフォンを持つようになった2017年以降からは、さまざまなSNSが多くの人々の考え方や時間の過ごし方に影響を与えることになった。そして2020年以降、AIの発展やコロナ、国の不安定さなどが人々の将来に対する不安に拍車をかけた。無駄なことをしている間に、他人が“将来に役立つこと”を学び、自分以上の生活を行なっていたらどうしようといった不安が、より人々の心を駆り立てる。そして次第に、将来のためにならないことは無駄であると認識され、重視されなくなったのではないか。
しかし、本当に効率的な生き方が私たちを幸せにするのだろうか。必要なもの以外は切り捨てる生き方が幸せに繋がるのだろうか。私は、現状や将来への不安とSNSマーケティングの狭間で押しつぶされそうになりながらも、現状を打開するための効率的な学びを選ばざるをえない「今」に大きな疑問を抱いている。そして、効率的に生きることが孤独を助長してしまっているのではないかと感じている。10分の動画になってしまった本や映画も、実際に読み、観なければわからない感情の動きや自分だけの発見があるはずだ。コロナ禍でなくなりかけたもののなかにも、絶対になくしてはならないものは存在する。友人とどうでもいいことで笑いあった空きコマも、面白くないのに2時間眺めた映画も、先輩に誘われ、初めて行ってみたオシャレなバーも。なくしてはいけないものは山ほどある。そして、これらの無駄は、孤独を溶かし、命を救う可能性だってあるのである。新たな出会いが人生を変えることだってある。
就活のためのガクチカづくりや、先の見えない将来のために投資を学ぶことは悪いことではない。しかし、私は同世代に問いかけたい。SNSに洗脳された効率的な生き方であなたは本当に幸せを得られるのか、と。必要なもの以外は切り捨てるのではなく、無駄を愛せる人が溢れれば今よりもう少し暖かく、優しい世界になるのではないだろうか。
注
★1──Josef Pieper, Musse Und Kult, Kösel-Verlag, 1965.(稲垣良典訳『余暇と祝祭』講談社、1988)。引用は根本孝+木谷光宏「戦後世代にみる意識動向の実証的研究」(『明治大学社会科学研究所紀要』29(1)、1990、71〜120頁)より。
20歳、大学3年生。滋賀県出身の台湾好きなフェミニスト。